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2019.7.3-2

2019年07月03日 (水) 00:31
2019.7.3-2

◎「大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき」
(p1300)
 どんな大悪があろうと、何も嘆くことはない。深い闇も大善の旭日が昇りゆく大瑞相(だいずいそう)なのだ。これが仏法の大確信です。
 時代は乱れに乱れている。不確かな風に不安を抱きながら、流されゆく人生があまりにも多い。誰もが、心の中では正しい哲学の指標を求め始めている。
 だからこそ、確固たる信念を勇敢に誠実に語り抜く皆様方の声は、仏の声の響きとなって、人々の心を揺り動かさずにはおかないのであります。
 たとえ相手が反発しているように見えても、根底では必ず仏性が薫発されているのです。

米国アイダホ大学のガイヤ博士も語ってくださった。
 「創価学会の方々は、自らの強い信念に生きておられる。
 強い信条、信念のもとに、人々に目的観を示し、導いていくところにこそ、宗教本来の使命はあります」と。
 世界の知性が讃嘆してくださっているように、わが創価の友の行くところ、向かうところ、必ず正義の波動が広がります。

御文の直前には、「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗(しゃりほつ)にあらねども・立ってをどりぬべし」(同p)と仰せです。
 師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
 崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
 あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。常勝関西には師弟の真髄がある。ゆえに負けない。
 ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。
 その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。


◎「森田実 世界研究室通信 180」

第25回参院選(7月4日公示、7月21日投開票)の意義について考えました。
?公明党の躍進による保守中道政治の安定が日本を救うー

「中庸の徳たるや、それ至れるか。民鮮きこと久し」(孔子)

「中庸は最高の道徳的価値である。しかし、人々は、長いことこのことを忘れている」という意味の孔子の言葉です。政治においては、中道政治が最高です。しかし、人々は中道政治の真の価値を知らないのが現状です。とくにマスコミは「中道・中庸」が好きではありません。マスコミが好きなのは「極端」です。
 マスコミには悪い癖があります。「異常」や「極端」を煽るのです。このため人々の感覚が乱されます。
 私たちは「中道政治」の真の価値を再認識しなければならないと思います。
 現在の自公連立政権は「中道保守政権」です。安倍総理の自由民主党内基盤が右翼保守勢力にあることから、現政権を右翼政権だと思っている方がいますが、これは大きな錯覚だと思います。安倍政権は大局的には「中道保守の政治」を行っています。中道政党の公明党の存在が安倍政権を「中道化」しているのです。
 戦後74年の政治を振り返ってみますと、保守中道政治が力をもった時期がいくつかありました。比較的安定していたのは1960年後の池田内閣でした。池田内閣は所得倍増と高度成長を実現しました。低姿勢・寛容と忍耐の政治姿勢によって国民から支持されました。当時の池田総理と現在の安倍総理の政治家としてのイメージに違いはありますが、ともに中道保守の政治です。現在の政権は福祉・教育・防災に重点をおいています。保守中道政治を行っています。
 日本国民にとって、今必要なのは安定した中道保守政治を維持することです。これを保障するのは、平和・福祉の党の公明党の躍進です。
 中道保守政治は、日本の政治体制のなかで最良のものです。この体制を守り抜くことができるか否かが、2019年7月21日の参院選の最大の意義です。


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2019.7.3
十一通御書 浄光明寺への御状

本書状は文永5年(1268)10月11日、日蓮大聖人が47歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷でしたためられ、浄光明寺へ送られた書である。

浄光明寺は建長3年(1251)に北条長時が真阿を開基として建立した。持戒・念仏の寺であったが、その後、真言・禅・律・浄土の四宗建学の道場になったという。鎌倉市扇ヶ谷に現存する。

当時、行敏が住していたと伝えられ、行敏は文永8年(1271)7月に良観の意を受けて、大聖人へ大聖人を難詰する書状を送り、さらには問注所へ訴状を提出している。

行敏が当時、律宗の良観の配下にあったことは、本文に「早く二百五十戒を抛つて日蓮に帰して成仏を期す可し、若し然らずんば堕在無間の根源ならん、此の趣き方方へ披露せしめ候い畢んぬ、早く一処に集りて対決を遂げしめ給え日蓮・庶幾せしむる処なり、敢て諸宗を蔑如するに非ざるのみ、法華の大王戒に対して小乗蟁蝱戒」と記されていたことからも推察される。


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