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2019.5.23

2019年05月23日 (木) 00:05
2019.5.23

昨夜「どうも熱のあるごたるね」
図ったら38.5℃?
最近はパッと上がる。1月以来。
「このところ相続税申告が重なり、監査法人とのやり取りでストレスというか、プレッシャーが強かったからかな」
娘「知恵熱よ」

今朝37.4℃。
昼過ぎ38.9℃?「え〜?」
妻「顔の病人の顔やん」
娘「顔のしかばれとるよ
『病魔に敢然と立ち向かえ』
今日の聖教新聞お父さんにピッタリ」?
夕方、病院へ。37.7℃。
「抗生物質でないのをお願いします」
言わなければ抗生物質を出されるところだった。
「はい、なら漢方薬の熱冷ましと風邪薬を出しときます」
夜36.9℃


【一年前】
薬師丸 ひろ子
生年月日 1964年6月9日(53歳)
出身地 東京都港区北青山
身長 154.5 cm
血液型 A型
40周年?
「セーラー服と機関銃」
――私の青春もこの曲から始まった??
24歳の元旦オールナイト、新宿歌舞伎町 ?
「俺の人生はいったいどうなるのか」

【二年前】
●『金の橋』
日曜日の午前11時、壮年部のおっさん達が集まり(大牟田文化) 、新人間革命13巻「金の橋」の勉強会。普通はまだ寝てるか家でボーッとしています。学会はすごいです。?
1968年(昭和43年)、大学会の結成など学生部の育成に力を注ぐ山本伸一は、9月8日に行われる第11回学生部総会の席上、「日中問題」について重大な発言をする決意を固めていた。
当時、中国は国連に代表権を持たず、アメリカも日本も敵視政策をとっていた。そのなかで日中国交正常化を訴えることは、命の危険も覚悟せざるをえない状況であった。
だが、伸一は、"文化の恩人"である中国との友好なしに、アジアの安定も、世界平和もないという信念から、敢然と「日中国交正常化提言」を世に問う。
それは予想通り反発を呼ぶが、松村謙三をはじめ日中友好の先達は高く評価し、周恩来総理ら中国指導部も、この提言に鋭く注目する。
復交を求める良識の声は高まり、伸一の創立した公明党がやがて重要な橋渡し役となり、提言から4年後(72年9月)、国交正常化に結実していく。
●私も『金の橋』を渡って.……
『創価とは試練があればあるほど、いやまして勇気と智恵を出して、断じて勝ちこえゆくことなり』
(2014年上海創価大学校友会メッセージ)
?


◎景気動向指数
内閣府経済社会総合研究所が毎月発表する、総合的な景気状況の判断指標。具体的には、複数の指標を3カ月前の水準と比較して「改善(プラス)」「変化なし(横ばい状態)」「悪化(マイナス)」に分類。総合的に分析・評価する。その指数が50%を上回っていれば景気は上昇傾向、下回っていれば下降傾向にあると判断できる。景気の転換局面をとらえる上で重要な意味を持つ。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

十一通御書 極楽寺良観への御状 
第一章経文通りの僭聖増上慢と断ず

本書状の内容は、立正安国論の予言がその通り的中したことを挙げ、日蓮に帰伏しなければ法華経勧持品に説かれる僭聖増上慢にあたることを指摘、現世は国賊・来世は堕地獄必定であると破折されて、いささかでも先非を悔いる心があれば、日蓮に帰伏すべきであると迫られている。本書状は11通の御状のなかでも、とりわけ語気に厳しさが拝される。良観が鎌倉に入ったのは弘長元年(1261)で、大聖人の伊豆流罪には表面的には関係がなかったように見えるが、幕府要人に強く結びついて名聞名利を貪っていた彼の本質からして、裏面において、画策をめぐらしたと考えるのが妥当ではなかろうか。
経説通りの第三の敵人

初めに蒙古からの「簡牒」が到来したことについて、執権・北条時宗はじめ幕府要人、諸宗諸寺の長老に書状を送ったことを告げられている。


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