◎朝
布団上げ
私「まだ妻の温もりが………」
妻「そうやろ、私の温もりが恋しかろ、
たまにはそろ〜と布団に入ってこようか、
あんまりびっくりして心臓麻痺起こすかも」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
妻「恵ちゃんも豆乳飲むようになったね」
私「お父さんに似てきたたい」
娘「似てないよ」
??
私「ヨーグルトも食べる?………
する事なす事やっぱりお父さんに似てるよ」
娘「ゲー?」
妻「ワハハハハ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」
?
◎べっぴんさん
若い夫婦のすれ違い。
彼は「ビジネス」
嫁さんは「ビジネスなんていや」
………
私「うちと同じやん」
妻「男と女は根本的に違う」
「膨らみ続けた風船はいつかは爆発するぞ」
◎レターパック
大牟田税務署以外の「一万円申告」
一括郵送。
◎確定申告も佳境に
「一万円申告」4件と相談1件。
9:00大工さん
11:00相続時精算制度でもめ事を事前回避
13:00ビン屋さん
14:00福岡市から元市会議員さん
17:30アパート経営85歳!!
◎中国人は日本の薬が好き
It has reached. 「届いた」
【一年前】
◎生命の樹
家康「神仏がな、わしに仰せられた。今こそ生命の樹を見せてやろうぞと。そうじゃ、その大樹の途中の枝でな、いろいろな人に会うたぞ」
「――今川義元がいちばん下の枝にとまってふくろうのように耳を立てていた。それから織田信長公………これは五位鷺(ごいさぎ)のような姿であった。そうそう太閤もこの樹にとまっていたわ。痩せた鶴のような姿でな、わしの手をとってハラハラと涙をこぼされた。済まぬ済まぬと申しての………」
「――おお又右衛門か。そなたの父、石舟斎(せきしゅうさい)にも、その生命の樹で出会うたぞ」
「――はッ」
「そなたの父はな、武田信玄よりも上の枝にとまっていたぞ………そして、うやうやしくわしにこういった。大御所さまのおわす枝はもっと上でござりますとな。律儀な仁よ」
そこまでいって、再び家康は眼を閉じた。
「――生命の樹はな、その梢(こずえ)がお日さまに届いている。いってみれば、大地とお日さまの間にかけ渡された橋のようなもの………死なぬの、誰もみんな姿をかくして、この樹に戻ってゆくだけよ」
【徳川家康26巻p.410/500】
◎天文法華の乱(てんもんほっけのらん)
天文5 (1536) 年7月に山門延暦寺の衆徒が京都法華宗徒を武力で洛外へ追放した事件。室町時代,京都の武家,商工業者の間に法華宗が広まった。天文初年頃から法華一揆を結成し,細川清元とともに一向一揆とも戦い,山門をしのぐ宗勢となった。同5年2月頃から両者の間に宗論が起り,説法中の山門僧を法華宗徒が論破したことから争いとなり,山門は園城寺,東寺,祇園社,興福寺などに援助を求め,6万とも 15万ともいう勢いで2万余の法華一揆と対立した。戦いは一時法華側が有利であったが,六角氏をも相手としたため,次第に押され,洛中洛外の拠点 21ヵ寺を焼かれ堺に退去した。以後同 11年 11月に勅許が下るまで洛中での法華宗は禁教状態であった。
◎サン・バルテルミの虐殺(サン・バルテルミのぎゃくさつ フランス語:Massacre de la Saint-Barthélemy)は、1572年8月24日にフランスのカトリックがプロテスタントを大量虐殺した事件である。聖バルテルミーの虐殺あるいは(英語表記から)聖バーソロミューの虐殺(St. Bartholomew's Day Massacre)とも表記される。
宗教改革者ジャン・カルヴァンの思想がフランスでも勢力を持ち、プロテスタントはカトリック側から「ユグノー」と呼ばれた。1562年以降、フランスはカトリックとユグノーとの内乱状態(ユグノー戦争)となっていた。
◎次回の米朝首脳会談
「韓国よりむしろ日本も開催地として適切だろう」(高橋教授)
☆大変??
◎日帝残滓(にっていざんし、????)
日本による朝鮮統治時代に、日本から朝鮮半島に伝わった文化・文物の総称。「残滓」とは文字通り「残り滓(かす)としての捨て去るべき廃棄物」や「屑」という意味であり非常に差別的なニュアンスを含むが、主として韓国ではマスコミや日常会話でも使われるポピュラーな言葉であり、多くが日本由来の文物に対しての一方的な人種差別的な揶揄と排斥の意味で使われる。
◎「自民党リベラル」(小川氏)
確かに自民党でもリベラルでは政治はうまくいかないようだ。ましてや野党ではなおさら。特に経済と外交。会社経営も同じ。
ヴィクトル・ユゴーも「九十三年」で同じようなことを言っている。
?
◎李鴻章
「喪権辱国」
(国権を喪失させ国を辱めること)
(石平氏)
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十一通御書
平左衛門尉頼綱への御状
第二章一乗妙法の信受を勧む
続いて、この法華経の正法を弘める法華経の行者としてのお立場から「剰え此の事を申す日蓮をば流罪さらる争でか日月星宿罰を加えざらんや」と仰せられている。
「此の事」とは、先文の「一乗妙法蓮華経こそ諸仏正覚の極理であり、諸天善神の威食であるから、法華経の信仰を人々が立てれば三災七難はなくなる」という大聖人の言説をさす。「流罪」と本御状でいわれているのは伊豆流罪のことである。
大聖人は弘長元年(1261)5月12日から弘長3年(1263)2月22日まで、伊豆国伊東へ流罪された。「日月星宿」は日天・月天・明星天をいい、諸天善神のことである。
すなわち、災難対治の根本である「一乗妙法蓮華経」を立てよとの大聖人の言を用いないばかりか、その妙法を弘通する日蓮大聖人を理不尽にも迫害し、流罪したのであるから、諸天善神が怒りをなすのは当然で、どうして国に治罰を加えないわけがあろうか。との意である。その「罰」が蒙古の来牒を意味していることはいうまでもない。