◎一年前
娘の品のない笑いに起こされて………
娘は台所で何かしている。
「その品のない笑い?」
時計見たらまだ7時半!!
冷蔵庫開けたら
「水がない?全然なかやんね」
妻「ないこともあるくさい?」
「なん、全然なかよ…
ゆめタウンのただの水もなか?」
娘「水がない…何もない
水がない…何もない
水がない…何もない」
(親父の真似)
?
◎今年最後の大栄会
税理士試験時代から30年以上の仲間達。
昨夜も大変盛り上がりました。
大変お疲れ様でした。
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十一通御書 宿屋入道への御状
文永五年八月 四十七歳御作 於鎌倉
この御状は文永5年(1268)8月21日、日蓮大聖人が47歳の御時、鎌倉松葉ケ谷の草庵でしたためられ、執権・北条時宗の側近として仕えていた宿屋左衛門入道光則に与えられた書である。
宿屋左衛門入道光則は、宿屋左衛門入道、宿屋入道、宿屋光則、宿屋禅門とも呼ばれる。光則の韓、法名は最信、生没年は不明である。
吾妻鏡巻51には、弘長3年(1263)11月、北条時頼の臨終に際して、最後の看病のため出入りを許された7人のなかに宿屋左衛門の名が見られる。
「十九日、丙申、相州禅室の御病痾・縡すでに危急に及ぶ。よって最明寺北亭に渡御ありて心閑に臨終せしめたまふべきの由思しめし立つ。尾藤太・法名浄心・宿屋左衛門尉・法名最信等に仰せて、群参の人を禁制すべきの由と云々。
廿日、丁酉、早旦北殿に渡御す。ひとえに御終焉の一念に及ぶ。昨日厳令を含むの両人、固くその旨を守り人々の群参を禁制するの間、すこぶる寂寞たり。御看病のために六七許輩祇候するのほか人なし。いはゆる、武田五郎三郎、南部次郎、長崎次郎左衛門尉、工藤三郎右衛門尉、尾藤太、宿屋左衛門尉、安東左衛門尉等なり」