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2018.12.3

2018年12月03日 (月) 00:00
2018.12.3

◎今日は朝から咳が出て………
熱はないのですが(夜、図ったら36.5℃)、喉が乾燥し咳がひどい。ミキプールの原液を口に含みながら凌いでいました。
(咳が出た時はこれが一番)
熱がないのが幸い。
妻「たまには大人しゅうてよかよ。
どら?………?熱はなかね」
「手の柔らかかね?久しぶり」
?
   
    
【一年前の今日】
昨夜は、今年最後の「大栄会」、皆様大変お疲れ様でした。同業者同士、普段は話せないことも、気軽に話せます。素晴らしい仲間です。

月の綺麗なママ、男ばかり4人の中に入るとやっぱりいいですね??ママのお母さんのお店で三次会、最後は5次会まで盛り上がりました。

大渕さんは結婚式?間に合いましたか?

大牟田支部の3人は、来週の忘年会でまた会いましょう。

次回はとりあえず2月2日(金)の予定です。私は上海→東京ディズニーランド?デート?のお土産話もできそうです。??
今こたつで、目の前には奥さんがいるのに、こんなコメントを入力しています。?



◎妻「ユニクロ買ってよ??」
妻と娘は久留米で「未来部合唱祭」。
私はマッサージ。
夕方4時半にゆめタウンのユニクロで待ち合わせ。

私もジーンズ?と普段靴?を買いました。
ジーンズを買う際にウェストを図ったらなんと94cm。?
10点くらいで締めて20,000円
「今日はクリスマスプレゼントと来月の私の誕生日を兼ねてよかたい。安上がりの奥さんでよかったね」
?

妻「夕飯はどげんする?」
私「奥さんの手料理が一番ばってんね」

中華レストランで久しぶりにチャーハンとラーメン食べたけど、「炭水化物」はもうあまり体が受け付けなくなっている。



◎今日は
執拗に懐メロ投稿される方を一人
「友達削除」


◎軍師官兵衛
宇都宮氏は鎌倉時代に源頼朝から豊前の地頭を命じられた。
戦国時代、豊前には460に及ぶ小領主が乱立していて、当時の宇都宮氏は城井川沿いの城井谷を拠点とし、城井を名乗っていた。

父・城井長房のあとを継いだ城井鎮房(しげふさ)は、秀吉の九州平定に際して本領安堵を願い出て秀吉の軍門に下る。
しかし、秀吉が豊前6郡(京都郡、築城郡、上毛郡、下毛郡、仲津郡、宇佐郡の一部)を黒田へ与え、伊予への国替えを命じられる。

先祖伝来の土地への愛着が強かった鎮房はこれを不服とし、秀吉軍の尖峰である黒田軍と戦うことになる。
海側に近い城が次々と陥落し、城井谷深くにある大平城と城井ノ上城が最後の戦いの場となった。
のちに和議を受け入れた鎮房が中津城へおもむいた際に、黒田孝高(よしたか、またの名を官兵衛のちの如水)・長政親子によって謀殺された。

孝高と鎮房の子・朝房が肥後の一揆を鎮圧するために留守にしている間に、長政の独断で鎮房は謀殺されたとする説もあるが、定かではない。
そして、鎮房の父・長房、子・朝房、娘・鶴姫も黒田によって殺され、宇都宮一族430年の歴史を閉じた。
    
     
◎西郷どん
神風連の乱 → 熊本 
→ 太田黒伴雄(おおたくろともお)
秋月の乱 → 福岡 
→ 宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)
萩の乱 → 山口 
→ 前原一誠(まえばらいっせい)
  
    
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

十一通御書について
 文永5年(1268)閏正月に蒙古から初めての牒状が幕府に到来し、これを機に、同年8月21日に著された宿屋入道への御状、10月11日の11通の御状、および同じ日に著された弟子檀那中への御状は、同じ背景のもとに著されたものであるので、ここではこれらをまとめて「十一通御書」とし、講義することにする。
 
なお「11通の御状」のみを古来、「十一通御書」と呼称されていること付記しておく。

立正安国論で国家諌暁
日蓮大聖人は文応元年(1260)7月16日、39歳の御時、立正安国論を著され、宿屋入道光則を通じて、時の鎌倉幕府の最高権力者・北条時頼に提出された。第1回の国主諌暁である。

当時、時頼は第5代執権職を退いて、最明寺に出家しており、第6代執権には北条長時が就いていたが、依然として幕府の権力は時頼が握っていた。大聖人はこの実質的な“国主”である時頼に対し諌暁されたのである。諌暁とは、国の重大事について、指導者の迷いや誤りを聞き、諌め暁すことである。

立正安国論は奥書に「去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の尅の大地震を見て之を勘う」(0033−02)と仰せられているように、正嘉元年(1275)の大地震を契機として執筆・上呈を決意されたものである。

全体が客と主人の10問9答で構成されており、客の最後の言葉は主人の答えも兼ねている。客とは、宗教の正邪を知らず誤った宗教に執着し、迷妄に覆われた一切衆生をさすが、別しては北条時頼を想定されている。主人とは、仏説にのっとり真実を究めた人で、いうまでもなく日蓮大聖人御自身のことである。

安国論の内容を要約すれば、当時、日本の国を襲っていた天災・飢饉・疫病等は、世の人々が皆、正法に背いて悪法を信じているゆえに、国土を守護すべき善神が去って、悪鬼・魔神が住みついていることに根本原因があることを金光明経等の4経の文を引いて示される。そして、その背正帰邪をもたらした「一凶」は日本の念仏宗の開祖・法然の邪義であると喝破され、この一凶を断じて正法に帰依することが平和楽土実現の道であると論じられている。

そして、もしこれを早く実行しなければ、七難のなかでまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難の二難が必ず起こるであろうと予言され、速やかに正法に帰依するよう強く訴えて結ばれている。


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