Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2018.11.2

2018年11月02日 (金) 00:15
2018.11.2

◎朝
私「日曜日は熊本交流で、金・土と車を洗車する時間がないから、今からガソリンスタンドに預けてまたタクシーで事務所に行く」
妻「ぜいたっか(贅沢)??」
「奥さんを車に乗せるのに車内が汚いとでけんもん」
「よか?
心の綺麗かけん車は少々汚くてもよか」

娘「お父さん、彼女でないから??」

妻「ほら、また娘に言われた??」
あははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
?
  
  
◎妹「所長は本当に人に恵まれていますね?」
?


【一年前の今日】
●脳梗塞を起こしたかな??
昨晩から左の頭に違和感があり、チンバで歩く感じになっていましたので、これは脳梗塞を起こしているものと思い、大事をとって、昼から脳神経外科でMRIを診て貰ったら、大したことなく、ホッとしています。

医師「血管の細いところや、固いところはありますが、小さな脳梗塞はあるようですが、言われることと画像が一致しませんが……昨夜その前に何かされていました?」
「マッサージ受けてました」
「これはマッサージの揉みごわりじゃないですか?寝違いもあるかも知れませんね」
?

●妻「病気には弱かね」
「病気と奥さんにが一番弱かたい」
?

●焼鳥屋でコロンビア人夫婦と交流?
「This is my wife」
「Oh! Your wife」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆


◎西郷隆盛の漢詩より
●菅 実秀 (すげ・さねひで) 
(1830〜1903年)
江戸時代の終わり頃、実秀は、父親の病気のために19歳で150石の家督を継ぎ、最後は中老900石まで出世しました。庄内藩の政治を指導し、戊辰戦争後の鶴岡の政治・経済の立て直しに多大な影響を与えた人です。松ヶ岡開墾をはじめ、山居倉庫、六十七銀行(現 荘内銀行)、松岡製糸工場をつくるなど、多くの事業をおこしました。戊辰戦争は、庄内藩の降服謝罪により幕を下ろしましたが、西郷隆盛の配慮によるたいへん緩やかな処分でした。実秀は隆盛の誠実さをとても尊敬し、親交を深めたといわれ、致道博物館(旧西田川郡役所 内)に当時の貴重な資料が展示されています。現在、鶴岡市と鹿児島市は兄弟都市の盟約を結び、この交流は時代を超えてなおも続いています。

●季布の一諾
季布
〜然諾の人〜
季布は若い頃から
「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず」
(お金を沢山貰うよりも、季布に頼みごとをして「わかった!」と言ってもらった方がよい)
の成語で知られ、約束を必ず守る人間であると評判だった。
彼は始め項羽に仕え勇戦し、劉邦を苦しめ続けた。
項羽敗死後は紆余曲折はあったが、漢に仕え高位に昇った。
「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず」
季布の一諾を得ることは黄金百斤(約60kg)
を得るよりも価値があるという意味です。
   
    
◎平和を創る世界市民の育成を共に
第一に、
「無窮の力を解き放つ、報恩の志」

青年よ「堅忍不抜」(けんにんふばつ)の心で、高波をこえて海原を進め

第二に、
「『何のため』を忘れぬ、向学の志」

「英知を磨くは何のため 
君よ それを忘るるな」

「群科済世、十年破壁」
(あらゆる学問で世を救わん、十年壁を破らん)

第三に、
「皆の故郷を大雪に、平和を拡げる世界市民の志」

「鞠躬尽瘁(きっすいじんすい)」
〈身を捧げて労苦を尽くす〉」


周恩来が19歳の時、張鴻詰に送った自作の詩「大江歌罷掉頭東 還密群科済世窮 面壁十年図破壁 難酬蹈海亦英雄」
(「周恩来伝 上」より)
『人間周恩来』(蘇叔陽 サイマル出版会 1982)及び『革命児周恩来の実践』(新井宝雄 潮出版社 1979)に、読み下し文・大意・この詩が作られた当時の状況について記述あり。以下、『人間周恩来』より引用。
「大江 歌うを罷(や)め 頭を掉(めぐら)せて 東す/群科(もろもろのがくもん)邃(きわむ)ること密に 世の窮(くるし)むを 済(すくわ)んとす/壁に面(むか)うこと十年 壁を破らんと 図る/酬(むくわ)るるは難(かた)しといえども 海にとび蹈(い)る 亦 英雄」


◎優しい
そよ風が優しく
万物の眠りを覚まし
太陽の光が生命(いのち)を吹き込み
美しき緑の大地に
小鳥のさえずりの声はこだます
色とりどりの花が咲き競う
あなたのシンボル
希望萌える春はついにやって来た
   
    
    

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 第五章天台密教の邪義を破す

一義には、真言の経は、法華経法師品の已・今・当の三説の中でどれに当たるのか、もしも真言は三説の外であるというなれ、一機一縁の教説であって、秘密教とはいえないのではないか、と反論せよと仰せである。

法華経法師品第10には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とあり、已説とは爾前の40余年の諸経であり、今説とは無量義経であり、当説とは涅槃経をさしている。これを、已・今・当の三説といい、法華経は、この三説に超過しているので「三説超過」といわれている。

真言三部経は、当然、已説の経であり、法華経と比較すれば、未顕真実の権教方便の教説なのである。

もしも、真言の経典を已・今・当の三説の外であると主張するとしたら、特定の機縁の衆生のために説かれた一機一縁の教説ということになり、仏が容易には人に示さない秘密の教とはいえないのである。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: