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2018.11.1

2018年11月01日 (木) 01:32
2018.11.1

【一年前の今日】
◎Suica
コンビニを出て車に乗ろうとしてたら
「あの〜、これ?」
「あ、ごめん、また忘れるところだった」

家で…………
妻「ぼ〜としてるけんたい」
私「店員さんのあんまり綺麗かったから魅とれとった?」
「どんこんしょんなか
(どうしようもない)?」
?


◎お昼
「あれ? 帰ってきた、帰ってこんと思いよった」
「奥さんの顔見たくて帰ってきたと!!」
「そうですか、そんなら私の顔見てください、この顔、どうぞ!!?」
???

  
◎上海・復旦大学
池田思想国際学術シンポジウム
「人類運命共同体のビジョンと実践」

☆これに出たかったな??
上海在住の創価同窓でも声がかからなかった。
ましてや………?
  
  
◎宮沢賢治(名字の言10/31)
「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」

“苦に徹すれば珠(たま)となる”
?
   
   
◎御書と歩む?(10/31)
今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年・其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて候いしが、金色世界の文殊師利・兜史多天宮の弥勒菩薩・補陀落山の観世音・日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士・我も我もと望み給いしかども叶はず、『是等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし』、『我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて』、あなかしこ・あなかしこ

『是等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし』

『我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて』
?

◎ホールディングス
設立してそこに自社株譲渡
社長「自社株の評価、猿渡さんいくらでしてくれる?」
「大手の税理士法人はいくらで受けるか知っています?」
「いくらくらいやろか」
「………??」
「20万円?」
「いえ??200万円でしょうね」
「?そげん取ると? 
………猿渡さんは?」
「私はその10分の1くらいでしょうか」
「ま、そんなもんやろ。
そのスキーム実行は300万円だって」
??

「猿渡さん、会社が二社になってもやってくれる?」
「はい?うちの洋子さんとこちら山下がいれば、どんなことにも対応できます??
一人ではもうどうしようもないですけど」
「そりゃそうやろね??」
?


◎小川元基・創価大学元理事より
創価大学野球部が本日の関東地区大会準決勝で、上武大学を破り、見事に、全国大会に出場が決定致しました??
応援、大変にありがとうこざいます。
全国大会(明治維新150年記念 第49回明治神宮野球大会)は、11月9日〜14日に、神宮球場で開催されます。
初の全国制覇を目指します。応援の程、宜しくお願い致します。
  
  
◎トランプ氏を動かすものは(大機小機)
経済学者には馬耳東風?
経済学者<トランプ氏<市場

☆面白い?やっぱり経営者タイプだ?

ばじ‐とうふう【馬耳東風】
《李白の詩「答王十二寒夜独有懐」の「世人之を聞けば皆頭を掉(ふ)り、東風の馬耳を射るが如き有り」から》
かぐわしい春風が馬の耳を吹きぬけても、馬になんの感動もないこと。他人の忠言や批評などを聞いてもまったく心に留めず、少しも反省しないことのたとえ。


◎中小の投資減税延長
財務省と経産省では根本的に発想が違うようだ。
財務省は生産性の薄いものは除外。
上から目線。
経産省は促進する方向。
下から目線。
財務省の発想では締め付けるだけで、経済が豊かになる訳がない。税務署も財務省の影響を受けて“取る方の発想”。
税務調査にもそれが反映されている。

☆経産省が推進した投資減税等の『政策減税』を、適用の間違いがないかどうか、“根掘り葉掘り”チェックして何とも思わない税務職員。
それが仕事と言われればそれまでだが、
明らかな租税回避行為摘発と同じ手法。
「何のための税務調査か?」
チェックするだけで、そこには前向きに投資をする企業を応援しようなどとする心は皆無?
?
  
  
◎元徴用工裁判
国家間で日本が無理やり合意したもの。
個人は置き去りにされてきただけ。
それだけのこと?
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 第五章天台密教の邪義を破す

大聖人は「天台座主を見候へば伝教大師は・さてをきまいらせ候いぬ、第一義真・第二円澄・此の両人は法華経を正とし真言を傍とせり、第三の座主・慈覚大師は真言を正とし法華経を傍とせり、其の已後代代の座主は相論にて思い定むる事無し」(1019−13)と述べられている。

一義には、真言に対して法華経が第一ならば、真言が亡国ということは必定であろう、と反論せよと仰せである。

真言の経が法華経に勝るということはまったく根拠がなく、法華経が一切経の中で第一であるということは仏説によるのである。したがって、仏説にそむいて、大日経を最勝とし、法華経を下げるのは、柱を倒す行為であり、国を滅ぼし、家を滅ぼし、身を滅ぼす業因となるのである。


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