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2018.10.14

2018年10月14日 (日) 00:22
2018.10.14

【一年前の今日】
◎Surprisingly, the Ukrainian lady will be good-looking.
ウクライナ女性はなんと美しいのだろう?
?

That I'm pointing at eye drops...,...,....
目薬を指していると………

My wife "SHUPASHUPA of an eye,?"
妻「目のシュパシュパするね?」

I "My wife is seen so much, and,......"
私「奥さんをあんまり見て……」

"AHAHAHAHA.........??"
「アハハハハ………??」

"Received so much? (Laugh)?"
「そんなに受ける?(笑)?」


◎昨夜のお通夜でのお坊さんの説法
「お手元にお渡ししている大谷派の勤行典は、蓮如というお坊さんの門下に宛てたお手紙です」

●蓮如(れんにょ)
室町時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第8世宗主・真宗大谷派第8代門首。大谷本願寺住職。諱は兼壽。院号は信證院。法印権大僧都。本願寺中興の祖。同宗旨では、「蓮如上人」と尊称される。明治15年(1882年)に、明治天皇より慧燈大師の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。文献によっては「?如」と「辶 」(二点之繞)で表記される場合がある。真宗大谷派では「?如」と表記するのが正式である[4] 。父は第7世存如。広橋兼郷の猶子。第9世実如は5男。

親鸞の嫡流とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。その本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いたことから、「本願寺中興の祖」と呼ばれる。

☆ちょうど『パウロ』のようだな。
?

●パウロ(希: Πα?λος[注 1]、? - 65年?)
初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロ (ヘブライ語: ????????、Šā?ûl) とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。
  
  
◎火葬場で待っている時
今日も中心の叔父さん、皆さんの前で、
「学会では本当に戒名はないとかい?」
「はい、あの世に行って戒名で呼ばれても、誰もわかりませんからね」(笑)
「学会ではお金のかからんごたるね」
「そうですね。聖教新聞代くらい。あと年に一度の財務だけですね」
「お香典も要らんとね」
「そうですね、ごく親しい人は出しますけど、会員さんのお通夜、葬式では要りませんね。学会は香典を持っていくと今でも思っている人がいますが、それは京都の坊さんたちが流布したんです」
「うちらもやっぱり学会に入ろうかね」
(えらい言ってこらすな)
??


◎娘「お父さん圏長から記念品の届いてるよ」
「え?………何これ。
写真集名前入り、お煎餅、日本酒???
お念寿………もっと題目あげなさいということか」
圏長に電話「これなんでですか?」
「本部から届いています」
「あ〜?………この前いつもより広布基金を奮発したけんですね??」
?
  
  
◎南州墓地
この前行ったばかり?
西郷どんもいよいよ西南戦争へ。
田原坂??
  
   
◎葬儀当日に初七日
86歳の叔父さん、私の母親と同じ昭和7年。
奥さんが私の母親と同じ「要介護5」で施設に入ってあり、
「ご飯を炊飯器を使いきらんから釜で炊きよるですよ、食べたあとが自分で洗わんなんとが、じゅつなかですよ」

『じゅつなかぁ〜』
福岡県筑後地方の方言で、
『非常に』つらい・情けない・耐えられない・悲しい・・・などの感情をまとめてこのひと言で言い表します。

私「娘さん(57歳)は?」

「??全然……な〜んもしてくれんですよ」

「先にボケた方が勝ち???
ちゃんとしとる方が大変ですね」

「そうですよ?」
??


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 第四章天台宗の教義を破すp.164

一義には、相待妙は法華経に明かされているのか、余経に明かされているのか、もしも法華経に明かされているなら、法華経は一往の浅い教えになるのか、と反論せよと仰せである。

相待妙とは、麤法を破って妙法を顕し、また麤法を廃して妙法を顕すことであり、余経を麤、法として破り、廃して法華の妙を顕すのが相待妙なのであって、法華経には一貫してこのことが説かれている。もし、相待妙は一往の浅い論じ方だというならば法華経は一往の浅い教えということになる。それこそ法華経を謗っていることになるではないか、との反論である。


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