◎酔っぱらって朝まで十畳間に寝てたら………
妻「今からもず〜ッと和室で寝るたい」
私「いやいや、奥さんが横に寝とかんといかんとたい」
「いやいや、布団を持ってきとくから」
「そばにいてくれているだけでいいとよ」
「よー言うよ?ほんなこて上手になったね…どこで覚えよるかね」
「昔のカラオケ?」
(我ながらよー言葉がサッと出るようになったもんだ)
????
◎マッサン
本当に次から次に試練………
【一年前の今日】
税理士会セミナーで新しい発見!
◎転籍
離婚や帰化や亡くなった家族の記録など、過去の情報を消すためには「転籍」
(本籍地を他の市町村に変更すること)。
“有効でない情報”は転籍で転記されない仕組みとなっている。
知らなかった!?
◎戸籍制度
あるのは日本と韓国と台湾のみ。戦前に統治していた名残り。韓国は2008年より戸主から個人別の登録制度に移行。台湾は日本と同じ様式を採用。
へ〜!?
◎司馬遼太郎「土地と日本人」
日本の国土の七割強が山林。その測量は江戸期もしくはそれ以前からの慣習による「目分量」で、ふつう「山三倍」といわれる。日本において全国規模で土地を測量したのは、いわゆる「太閤検地」。そのまま明治維新にいたるが、この変革期にも山林は実測されることはない。敗戦のあとの農地解放においてわずかに農地の所有についての平衡操作がされただけで、あらかたは十六世紀末の太閤検地で成立した原形のままこんにちにいたっている。
そうなんだ?
◎株価算定ケーススタディ
昨夜は大変お疲れ様でした。ありがとうございました。?
さっそくケーススタディをファックスししました。
回答をファックスしました。私もおさらいになりました。?
◎業務管理ソフトを導入!!
日次業務……スケジュール・日報・工数分析
月次業務、年末・年次管理………
??
◎設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし(兄弟抄P1088)
◎ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし(諸法実相抄P1360)
◎されば昔は一切の男は父なり・女は母なり・然る間・生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり(上野殿御消息P1527)
◎税理士会相談室
○○先生
?F社
N社から取得した土地・建物55,014,439円
(固定資産税評価額で案分)
固定資産税評価額は土地・建物合わせて
10億円以上
☆株式評価において、帳簿価額を基準に評価していいかどうかの確認。
平成10年4日24日裁決
『特別な事情』の解釈とその判断
P.6
3 結論(「特別の事情」の判断基準)
以上のことから、評価通達適用に係る裁判例は、「価額乖離型」、「租税回避型」という二人の反転の枠組みに分類できるが、両者を統一的に考えることは可能であり、評価通達6項の適用にあたっては、
〔1〕評価通達による評価方法を形式的に適用することの合理性が欠如していること
(評価通達による評価の合理性の欠如)
〔2〕他の合理的な時価の評価方法が存在すること
(合理的な評価方法の存在)
〔3〕評価通達による評価方法に従った価額と他の合理的な時価の評価方法による価額の間に著しい乖離が存在すること
(著しく価額の乖離の存在)
〔4〕納税者の行為が存在し、当該行為と(3)の「価額のあいだに著しく乖離が存在すること」との間に関連があること
(納税者の行為の存在)
〔4〕の「行為」とは「行為計算の否認」の行為であって、「相続税等の負担の軽減がなされていると判断されれば、同項が適用され、評価通達によらす、個別に評価することとなる」ということで、この場合には当てはまらない。
〔1〕〜〔3〕には合致し、当F社とN社はいわゆる「赤の他人」の関係であり、当F社の株式評価においては、帳簿価額を基準に評価して差し支えないものと判断できるものと思われますが、いかがでしょうか。
よろしく御教示の方、お願い申し上げます。
◎事務所お疲れ様会
「高口君が税理士試験にまず絶対に合格する?と決意すること、そして合格から逆算して勝利に向かって勉強していくこと」
「資格を取ったら税理士法人として一緒にやっていきたい、独立しても今の担当先はすべて外注方式」
「今一人60件のお客さんを一人100件!!
にして正社員一人につき2人のパートさんを付けて独立して貰う」
「あなたの給料はぶっちゃけ安すぎる」
「そろそろ妹の代わりに事務所の経理を○○さんか○○さんかにして貰わんなんばい」
大変盛り上がりました。??
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
早勝問答 文永八年 五十歳御作 p.163
第三章 禅宗の教義を破す
しかも、釈尊の本意である一切衆生の成仏を説いた法華経を否定して、自身の心を師とする坐禅の修行をすれば、己心の魔にとらわれてしまうのであり、しかも仏説を否定して仏教を破壊することは天魔の所為に他ならず、成仏できないばかりでなく、地獄に堕ちる悪行となるのである。
なお、諸仏が成道の時に坐禅をしたというのは、心を定める禅定であって、禅宗の坐禅とは異なるのである。