
◎朝
 妻「今日からお父さんは東京。夜は枕濡らして(笑いながら)泣きよるかもばい?」
 
 「俺も出張のときは、いつも思っているのは奥さんのことだけよ?」
 
 「よー??言うよ? 上手になったね?
 かえって怪しか」
 ?
  
   
 【一年前の今日】
 ◎大阪は2年ぶり
 普通は息子夫婦が実家へ帰るのですが、うちは逆。親がお金も暇もない息子夫婦のところへ。大阪は上海から関空経由で来たとき以来約2年ぶり。嫁さんに会うのは結婚式以来2年半ぶり。緊張します? 
 
 ●なぶり餅
 日本最古の菓子店、創業1075年目。NHKの応仁の乱の特集番組で紹介されたお店に行ってきました。京都駅からタクシーで20分の今宮神社の前。なかなか美味しかったです。
 
 ●金閣寺へ
 高校の修学旅行以来です。
 
 ●嫁さんと食事!?
 こんな綺麗な嫁さんが本当にうちの息子の嫁さん?
 「今さらながら息子のどこがよかったと?」
 「全部です」
 ホッ?
 
 嫁さんはシンガーソングライターでCDをまた作っていました。時々モデルもまだやっています。性格も控えめで、ふわーっとした話し方で、お金も使わない。
 
 「稼ぎの悪い息子で苦労かけてごめんなさいね♪息子もやっとお金の苦労をしているから二人力合わせて夢を開いてね♪私も経済的に開いたのは四十代になってからだから」
 
 嫁さんとツーショット!今日の最高の写真です。
 ?
 
 うちの奥さんがこそっとさりげなく息子に聞いたら、子供はまだしばらく作らないそうです。7年付き合って結婚して3年、出会って10年。今年息子に31歳、嫁さん29歳。夫婦仲がいいのが何よりです。 
 ? 
   
   
 ◎なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず(四条金吾殿御返事P1192) 
   
 ◎今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし(十字御書P1492) 
    
 ◎小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ(報恩抄P297) 
   
   
 ◎半分、青い
 思い通りにならない女の子の人生……? 
    
     
 ◎マッサン
 次から次に試練が………?
    
 ●万事休す
 【読み】	ばんじきゅうす
 【意味】	万事休すとは、対策の講じようがなく、もはや手の施しようがないこと。すべてが終わったと諦めること。
 【注釈】	今さら何をしてもだめだ、もうおしまいだ、という意味。
 出典は『宋史』の『荊南高氏世家』にある故事。荊南を継いだ王子の保勛は甘やかされて育った。人が怒ってにらんでもにこっと笑う保勛に、荊南の人々が「万事休すだ」と言ったことから。(王が保勛を溺愛し、それを見た人々が「万事休すだ」と嘆いたという説もある)
 その後、保勛が四代目当主になってから政治は乱れ、国は滅びた。
   
   
 ◎賞与
 >今日は全員出社するので、賞与をいつもどおり支給したいと思いますが良かったですか〜。
 >iPhoneから送信 
 
 いいよ?? 
   
   
 ●首相、議員票7割固める、石破氏を圧倒
 ーーこの国はまだまとも。ほっとする。?
 
 
 ◎サマータイム導入?!
 2時間繰り上げ??
 うちなら「9時〜17時」が「7時〜15時」?!
 ………どっちもどっちだな……!!
   
   
 ◎平城京(安部龍太郎)
 「天智(てんじ)天皇(38代)の世継ぎであられた大友皇子(おおとものみこ)(39代)と、天皇の弟であられた大海人皇子(おおあまのおおじ)〈天武(てんむ)天皇〉(40代)が争われた。もう三十六年も前のことだ」
 
 「大海人皇子は天武天皇となられたが、その後に立たれた持統(じとう)天皇(41代)と今上(元明(げんめい))天皇(43代)は天智天皇の皇女であらせられる。二人を厚遇されたのは、兄弟である大友皇子に忠誠をつくされたことを賞されてのことだ」
 
 ●天智天皇には最低3人の妻
 39代・弘文天皇(大友皇子)
 41代・持統天皇(天武天皇の妻)
 43代・元明天皇(阿閇皇女(あへのひめひこ))
 (42代・文武天皇)
 ☆3天皇はそれぞれ異母兄弟姉妹? 
 
 ☆天智天皇とは傍系(弟)となる天武天皇が割り込んできたことで争いとなったか?
 (娘婿が天皇に!!)
 
 ●命婦(みょうぶ)
 律令制下の日本において従五位下以上の位階を有する女性、ないし官人の妻の地位を示す称号。 
   
 ☆小学5-6年生の時、「命婦」(めいふ)という親友がいて、いつも「珍しい名前ね」と言われていた。祖先が「命婦」と関係があるのかも。埼玉に引っ越してそれっきり。
   
    
 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎  
 
 早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.163
 第三章 禅宗の教義を破す 
 
 蓮盛抄には「仏教には経論にはなれたるをば外道と云う、涅槃経に云く『若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり』云云、弘決九に云く『法華已前は猶是れ外道の弟子なり』云云、 
 
 禅宗云く仏祖不伝云云、答えて云く然らば何ぞ西天の二十八祖東土の六祖を立つるや、
 
 付属摩訶迦葉の立義已に破るるか自語相違は如何、
 
 禅宗云く向上の一路は先聖不伝云云、
 
 答う爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず若し解らずんば禅に非ざるか凡そ向上を歌つて以て憍慢に住し未だ妄心を治せずして見性に奢り機と法と相乖くこと此の責尤も親し旁がた化儀を妨ぐ其の失転多し謂く教外と号し剰さえ教外を学び文筆を嗜みながら文字を立てず言と心と相応せず豈天魔の部類・外道の弟子に非ずや」(0152−17)と仰せになっている。