◎夜は夫婦の温度差がひどい???
「ほら、リモコンどこに隠しとると?
………もう!
………私の温度に合わせなんとたい」
朝起きてからーー
妻「クーラー消すとすぐに付いとる」
私「クーラー付けてもすぐに消えとる」
私「夜は夫婦の温度差がひどい………」
妻「だけん、もう夫婦別室にしようて
言よろが」
?
◎一年前の今日
☆大誓堂へ
明日インド青年部が九州各地の交歓会へ
「私は5人を折伏して来ました!
あなたは何人折伏しましたか?」
……シュン(爆)
となりますよ。(笑)
佐藤方面参事
小説新人間革命で池田先生が中国から長崎に入られ、福岡へ移動。そのときの私の失敗談を小説に残して頂きました。
「宗門事件から反転攻勢開始の時、九州文化の先生の元へ大勢の学会員がやってきた……
担当の幹部(私です?)は先生がお疲れになるから、なるべく先生にお会いできないようにしていた……」(爆)
先生から叱られました(爆)
宗門問題を今の青年部の生命に刻む思いで執筆されている。
◎蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ(立正安国論P26)
◎吾方の人人をば少少の事をばみずきかずあるべし(四条金吾殿御返事P1169)
◎しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なりわづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ(法蓮抄P1041)
◎マッサン
負うた子に教えられて浅瀬を渡る
【読み】 おうたこにおしえられてあさせをわたる
【意味】 負うた子に教えられて浅瀬を渡るとは、熟達した者であっても、時には自分より経験の浅い者や年下の者に、物事を教わることもあるということ。
【注釈】 小さな子供は一人で川を渡れないが、背中に負ぶった子は上から浅瀬と淵をよく見分けて教えることができる。
その子に教えられて深みにはまらずに済むこともあることから。
「負うた子に浅瀬(を習う)」「負うた子に教えられる」とも。
『上方(京都)いろはかるた』の一つ。
◎半分、青い
品のない三人姉妹のおばさんたちで雰囲気がガラッと変わりました。妻も、佐藤健君を毎日見られていたから楽しみだったのに。結婚すると思ってたのに。これもストーリーやろけど。
私から見てもストーリーが面白くないですね。品が良くない。見るのやめようかな……。
私「でも、今週はすずめちゃん、妊娠するからな」
妻「お父さんからすると娘みたいね」
??
◎カジノ6割が反対という
まあ、人それぞれ意見はあると思いますが
、私としてはーー
『こんな頭の固い日本人に誰がした』
という感じですね。
マスコミのせいもあるな。
日本にたくさんは要らないが、少しはあってもいいと思います。
「日本人はどうしてこんなに頭の固いとかね?」
妻「お父さんも固いやんね」
………
「ま、3割近くが賛成というのが逆に健全かな」
反対が一番気軽、責任もなし、楽。
?
今回のIR法案、公明党の強い主張によってカジノの入場規制として、入場料6000円、さらにマイナンバーカードを使い、家族や本人の申し出によって、依存症が心配な方は入場そのものが出来ない仕組みになっています。世界一厳しい入場規制と言われています。日本に訪れた外国の富裕層やお金持ちにしっかりと遊んでいただいて、地域振興のためにお金を使っていただければと思います。
?
「カジノは、公明党が、
庶民の生活には関わりのないものにしました!」
???
確かに??
◎暑中見舞いハガキは結局500枚!!
神奈川10
埼玉9
沖縄63
兵庫19
計101
関与先350
その他49
合計500
来週出します。ギリギリ?
?
◎事業承継の進め方
東京会場から全国15会場にライブ配信
税理士法人タクトコンサルティング
代表社員・税理士 玉越賢治先生
この20年間で経営者の平均年齢は、
47歳から66歳へ、19歳移動している。
ということは、この20年間、
経営者のバトンタッチは行われていない。
社長歴35年以上
「あなたは誰から事業を引き継ぎましたか?」
父から83.5%
おじさんから9.2%
☆90%超が親族内
社長歴5年未満
親族内から 34.3%
親族外から 39.3%
法人親族外からが多くなっている?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
早勝問答 文永八年 五十歳御作 p.162
第二章浄土宗の反論を破す
最後に、法華経観世音菩薩普門品第25に、観世音菩薩の名を称える功徳をあげているのに、なぜ余の仏・菩薩を捨てるのか、という反論がなされた場合の破折の仕方が示されている。
普門品には、「是の観世音菩薩を聞いて、一心に名を称せば、観世音菩薩、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得せしめん」等と、観世音菩薩の名を称える功徳が詳しく述べられている。
それにもかかわらず、なぜ他の仏・菩薩を捨てるのか、阿弥陀仏の名を称えることが無間地獄に堕ちるというのか、という意味の反論がなされたのであろう。
それに対し、一義には、そのために法華経を誹謗するのか、と反論せよと仰せである。どんな理屈つけようとも、法華経を誹謗して立てた念仏が正当化されることはないのである。