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2018.7.23

2018年07月23日 (月) 00:04
2018.7.23

◎一年前の今日
●ANAなのに飛行機はスターフライヤー
スターフライヤーは各座席にテレビが付いている。ただでさえLCCで経営厳しいのにこれでは赤字。ANAとの共同運行で活路か。……全く余計な心配をしておりました。でもキャビンアテンダントは綺麗だった。?

●「こだわり」「らしさ」
ネットで調べたら、案の定、ANAとの共同運行でスターフライヤーは業績が急激に伸び、安定したとのこと。小は大に付いて伸びる。凄い!私も学ばねば。
?
 
 
◎叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず(日厳尼御前御返事P1262)
 
◎過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず(聖人御難事P1190)
 
◎経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり(諫暁八幡抄P588)
 
◎悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし
(盂蘭盆御書1430)


◎琉九会
オール沖縄は、口を開けば基地の問題を言いますが、もっと地方の問題があるのではないですか。
沖縄市も今、オール沖縄市。

9月で公明党完勝
→11月18日知事選
→来年の参議院選挙へ

共産党の出鼻を完全に封じることができる。

沖縄出身の男子部、つい先日、高校の同級生の披露宴によばれ、久しぶりに帰省。沖縄の披露宴は少しでも関係があると皆呼ぶ。いつもより少なくて今回は300人位だった。(笑)

沖縄の結婚式は人数もあるけど、時間も長い(笑) 普通4時間。ずっ〜と出し物をやっている。(笑)

琉球と九州
いよいよ共産党沖縄を打倒?
基地反対だけを叫び、不安を煽り………

翁長知事
当初は自公連立の幹事長だった。
ところが寝返り、
あろうことかオール沖縄に。

すい臓ガン
家族の反対も無視し、休ませない。
命まで共産党に吸い取られる。
県政与党に共産党は沖縄
沖縄は共産党の牙城

13市町村、21候補
オール沖縄とのし烈な戦い
名護市と沖縄
定数減、少数激戦
世帯の4倍

翁長知事の体調によっては、
市長選と知事選の同日選挙
オール沖縄の勢いが益々

沖縄よ勝て、断じて勝て

先生
「沖縄は正直な人が多い。アジアも含めて」

新人間革命2巻「先駆」
沖縄に訪問の第一歩
7.16奇しくも立正安国論から700年

☆翁長知事………
やっぱり人を裏切った人の末路は無惨?
荒木村重しかり………。
?
 
 
◎?道の駅「みやま」?コメダ珈琲店へ
妻「沖縄といい、山口代表といい、博多座といい、昔は貧乏でそれどころではなかった。
どこにでもサッと行けるようになった。
………お父さんのお陰よ!」
「奥さんのお陰よ!」
??
 
   
◎沖縄統一選挙投票日(13市町村)
9月2日 北谷町
9月9日(11市町村)
名護市、恩納村、沖縄市、読谷村、
宜野湾市、南城市、西原町、八重瀬町、
南風原町、石垣市、竹富町、
9月30日 うるま市

◎早速、沖縄の税理士を検索
名護市12
恩納村0
沖縄市19
読谷村0
宜野湾市7
北谷町3
うるま市9
南城市1
西原町5
八重瀬町4
南風原町6
石垣市6
竹富町0
合計72人

☆あ〜また仏縁を広げられる???
  
  
◎日本はまだまだ『移民鎖国』!
 
  
◎仏教説話『ラジュウ』(聖教7/22p.8)
羅什は舌やけず不空は舌やけぬ、妄語はやけ実語はやけぬ事顕然なり、月支より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ、一百七十五人の中・羅什より先後・一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし、羅什来らせ給いて前後一百六十四人が悞も顕れ新訳の十一人が悞も顕れ又こざかしくなりて候も羅什の故なり
 
  
◎軍師官兵衛
信長「上月(こうづき)は捨てよ」

「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」(孫子)

「凡そ兵戦の場は屍を止むるの地 
死を必すれば即ち生き、
生を幸いとすれば即ち死す」
 
 
◎西郷どん
●禁門の変(きんもんのへん)
蛤 (はまぐり) 御門の変ともいう。幕末,長州藩兵と幕府との京都御所付近における戦闘。文久2 (1862) 年以来,攘夷主義を掲げて朝廷に支配的影響力を有した長州藩は,文久三年八月十八日の政変で,薩摩藩兵に京都を追われて失脚した。その後長州藩が再起を期している矢先,池田屋事件で多数の攘夷派志士が新撰組のため殺害,逮捕された。これに憤激した長州藩では,真木和泉らの急進論が支配的となり,京都守護職の追放を掲げて藩兵が決起し,元治1 (64) 年7月 18日夜,御所を目指して突入した。特に蛤御門口の戦闘は激しく,長州勢は最初は優位に立ったが,薩摩藩兵の来襲により敗退し,これによって長州勢は全面的に撤退した。この戦闘で,多数の長州藩攘夷派志士が戦死した。
 
前年の八月十八日の政変により京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた事件である。畿内における大名勢力同士の交戦は大坂夏の陣(1615年)以来であり、京都市中も戦火により約3万戸が焼失するなど、太平の世を揺るがす大事件であった。

大砲も投入された激しい戦闘の結果、長州藩勢は敗北し、尊王攘夷派は真木保臣ら急進的指導者の大半を失ったことで、その勢力を大きく後退させることとなった。一方、長州掃討の主力を担った一橋慶喜・会津藩・桑名藩の協調により、その後の京都政局は主導されることとなる(一会桑政権も参照)。

禁門の変後、長州藩は「朝敵」となり、第一次長州征討が行われるが、その後も長州藩の政治的復権をねらって薩長同盟(1866年)が結ばれ、四侯会議(1867年)においても長州藩処分問題が主要な議題とされるなど、幕末の政争における中心的な問題となった。
 
  
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.162
第二章浄土宗の反論を破す

一義には、自分の正法誹謗を認めたうえで質問しているのか、と反論せよと仰せになっている。

法華経を誹謗しながら嘱累品を引いたとすると、前項と同じで矛盾しており、反論にはならない。

一義には、その問いは自己の義なのか、経文にあるのか、と反論せよと仰せである。

当然、勝手な己義であって、経文によるものではないのである。


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