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2018.7.2

2018年07月01日 (日) 23:59
2018.7.2

◎一年前の今日
【生命保険に条件!】
肝機能と糖尿病ーー既存補償5,000万円に追加補償5,000万円の告知審査で、やっぱり条件が付き保険料がなんと2.5倍!補償を2,000万円に落とし契約しました。これで借金部分だけは万一の時に消えます。

「奥さんへの補償は土地・建物・事務所で最低3,000万円位では売れるやろ!」
?

◎朝
妻「きのうは遅かったろ?」
私「うん、そのまま寝とった」
「もう、夏は別々に寝ていいよ。クーラーで喧嘩せんでいいし。そうしよう」
「俺は横に誰か寝とかんとでけんとたい」
「あはあ?! 暗すみやけん顔も見えんし」
「暗すみやけん、体の線も良く見える」
「あはあ……よー言うよ」
?


◎「空飛ぶクルマ」が20年代に?
ヘリコプターとドローンの中間。
垂直離着陸。
操縦士なし。渋滞なし。騒音低め。
?

◎三池圏大牟田北支部グローリー大会

「幸せの人生」
創価学会早田副会長
聖教新聞九州支社長

今はソフトバンクの試合があっていまして、無理矢理連れて来られた方もいらっしゃいますか、というと手が上がりませんので、友人を連れて来られた方。(笑)

旧西鉄の稲穂監督も聖教新聞の愛読者だった。
自分ほど苦労した人間はいないと思っていた。しかし、聖教新聞読んで変わった。

仏教には元々仏像はなかった。
死ぬ前に絶対にしてもらいたくないこと。
「私の姿や形を作ってはいけない」
しかし、お弟子さんたちが、お釈迦さんてこんなに凄い人ですよ、ということで仏像が作られていった。

それでインドに仏教がなくなった。
今インドに仏教は、インド創価学会しかない。
宗教には人を幸せにする宗教と、不幸せにする宗教がある。

テレビドラマ
「仏が上がる」(笑)
川から上がる。
切られて無念で死んでいった人。

仏とは、目覚めた人。
朝起きた人ではないですよ。(笑)

女人不成仏
悪人不成仏
お弟子さんも不成仏(二乗不成仏)
――法華経に至って
竜女
ダイバだった
しゃりほつ

先祖代々からの宗教
実は江戸時代から
年貢を取り立てるために
キリスト教を管理
檀家制度
たかだか江戸時代から

通夜、葬儀、初七日、………四十九日
毎回お坊さんを呼んでくる
一本ずつ釘を抜かれる………痛い(笑)
供養を取る仕組みを作っていった
→お寺の周りに、遊廓、祇園

明治時代
僧侶
妻帯、肉食、ベジタリアン
親もわからないようになってきた
妻を持て
髪の毛も自由
だんだんと仏教が衰退、形骸化

戒名
今まで一番高かった戒名
石原裕次郎
一千万円?(笑)
お金で成仏
………違うでしょ
戒名事典
今はパソコン
戒名ソフト
名前、金額………戒名(笑)

全部お金儲けの手段になっていった
信者さん………儲け?
大聖人は「行者」

励ます………万の力

私は由緒ある貧乏の家に生まれました。(笑)
昭和36年、近所の人が見かねて

組織ってなんだか怖いという方がいる
一人は皆の為に、皆は一人の為に

今が勝負の時だよ

世界192ヵ国
ロシアにも支部が
勤行題目も同じ
海外の方がかえってうまい(笑)

一つの考えに染まりたくない
………桜は桜、梅は梅………桜梅

人から進めれて入りたくない
………

おせっかい………自分の大切な人に話をする

忙しいから信心できない………?
………我々は隙か(笑)

ヤマダ電気社長
努力と信念?
努力が報われるようになった


◎西郷どん
楼(ろ)の上も
はにふの小屋も
住む人の
心にこそは 
たかきいやしき

大意
立派な家に住んでいても、茅葺の貧しくてみすぼらしい小屋に住んでいても、人間の価値には関係はありません。心がけが立派であれば、その人は誰にでも尊敬されるという意味です。人よりもたくさんのお金を持っていたとしても、心が卑しければ誰からも好かれず、尊敬もされないのです。

心の在り方によって人の真価は決まります。例え貧しくとも、常に心を正しくもつ人こそ、真に仰ぐべき人であるとの意が込められています。

補足
楼(ろ)は2階作りの立派な家の事で、茅葺(かやぶき)とは埴生(はにふ、はにゅう)の小屋のこと。粗末な小屋の事を指します。



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.162
第二章浄土宗の反論を破す

【本文】
問う「余の深法中に示教利喜す」と何ぞ余経を謗ずるや、答う一義に云く此の故に法華を謗ずるや、一義に云く汝が誹謗は治定して問うか又自義か経文か大旨上の如し。

【通解】
問うて言う。法華経嘱累品第二十二に「余の深法の中に於いて、示教利喜する」とあるのに、どうして余経を謗ずるのか。

答えて言う。一義には、このゆえにあなたは法華経を謗ずるのか。

一義には、あなたの誹謗を決定してこれを問うのか。また、この問いは自義なのか、それとも経文なのか。この大旨は以上に述べた通りである。


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