【一年前の今日】
学会のことをボロクソに言ってた奥さんの友人が、初めて今日のセミナーに参加されました。セミナーは大盛況でした。笑いが健康の元!?
◎久しぶりに法人の税務調査
「最近の税務署はイケメン、可愛い子ちゃんが多いね」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
「失礼だけど、おいくつ?」
「今年25になる24です」
「え〜?社長の息子と同じ年。私の娘26」
「子供と同じです」
「私が24-5の正月は新宿の歌舞伎町で薬師丸ひろ子のセーラー服と機関銃……薬師丸ひろ子知ってる?」
「いえ……知りません」
「え〜?………」
妹「所長、余計な話はやめて、質問があられますから………」
………………
「私がいると余計な話ばかりして邪魔になるから、あとは任せて帰ります」
?
◎電気工事士って何だろう?
ビル、工場、商店、一般住宅などの電気設備の安全を守るために工事の内容によって、一定の資格のある人でなければ、電気工事を行ってはならないことが、法令で決められています。
その資格のある人を電気工事士といいます。
電気工事士の資格には、第一種と第二種の2種類があります。
第一種 第二種の範囲と最大電力500キロワット未満の工場、ビルなどの工事に従事できます。
第二種 一般住宅や店舗などの600ボルト以下で受電する設備の工事に従事できます。
◎昨日の、若干訂正
昨日の親族図をその後ジーと見てたら不審に思い調べてみました。
「弟の嫁さんの親」は「他人」
――はあっている。
しかし、弟の嫁さんは、
――『2親等(傍系)姻族』、
となり、
『3親等内の姻族』になります。
『3親等内の姻族』 は、甥・姪の配偶者。
?弟の嫁さんの親は『3親等内』にはならないようですね。
自分から見て、
自分の兄弟=2親等傍系血族
自分の兄弟の妻=2親等(傍系)姻族
自分の兄弟の嫁の父=姻族でない(勿論、血族でもない)=親族でないから、親等を考える余地が無い
姻族とは、
「配偶者の血族」又は
「血族の配偶者」←?
です。
<民法>
(親族の範囲)
第725条
次に掲げる者は、親族とする。
1.6親等内の血族
2.配偶者
3.3親等内の姻族
(親等の計算)
第726条
(第1項)親等は、親族間の世代数を数えて、これを定める。
(第2項)傍系親族の親等を定めるには、その1人又はその配偶者から同一の祖先にさかのぼり、その祖先から他の1人に下るまでの世代数による。
?「兄弟姉妹の配偶者の親」はなんで三親等に行かない?
?職員「税理士試験でこれが出されたら絶対にみんな引っ掛かりますね」
私「まあ、民法だから出ないやろうけど、法定相続人のいい引っかけ問題やね。答練で何度か免疫を付けておかないと、ズラ〜っと間違うよ」
?
◎昼間っから優雅にインド映画?
KBCシネマ14:50-17:40
?KBCシネマは2回目だけど、
スタッフの対応が全然良くない?
悪い!!上から目線、そして雑。
つい………
「ここは対応悪いね!!なんその応対は、
やっぱり朝日新聞系やろ………
朝日新聞は政治以外は良かとばってんね」
???
短気は損気とは言うけど………?
俺もキレる年寄りに近づいたかな……要注意?
でも最近の若い店員は、こっちが賢くなって気を使わねばならない、そういう店がある。
やっぱり福運のない朝日系に毒された雰囲気。
『バーフバリ 王の凱旋』
(今年21本目)
ストーリーがあるような、ないような………ほとんどがCGでしょうが、スケールはアメリカ映画を凌ぐような大きさ。途中まで何が何だかわかりませんでしたが、最後あたりでやっと全体の意味が少しわかってきました。
ストーリーは全然違いますが、中国の三代物語・パール・バック『大地』、それにヴィクトル・ユゴー『九十三年』を思い出す、「政治と宗教」インド版?――という感じでした。
三代にわたる『王と神』の復讐の物語。
?このインドにも今や………
10万人を超すSGIメンバー?
◎税務調査報告
>○○電工さん、今のところ何もないので、書類持って帰られました?
>
?
◎草刈正雄
「『俳優』という職業は定年退職はない。………引き際を決めるのは自分自身。
………死ぬまでしがみついて………」
私も―― 『俳優』→『税理士』
「『税理士』という職業は定年退職はない。………引き際を決めるのは自分自身。
………死ぬまでしがみついて………」
?
それに――
「レッテルをいい意味で裏切りたい」
――これもいいですね?
?私は年金は75歳から?
それはもう決めている?
?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
早勝問答 文永八年 五十歳御作 p.161
第一章浄土宗の邪義を破す
一義には、浄土宗の祖師である法然の謗法を認めたうえで法華も無間というのか、と反論せよとの仰せである。
これも、大聖人が念仏無間と断じられたのは、法然が選択集で捨・閉・閣・抛と主張して法華経を誹謗しているゆえで、相手がこの道理を理解しているかどうかが肝要だからであろう。