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2018.5.21

2018年05月21日 (月) 00:35
2018.5.21

【一年前の今日】
◎地区座談会で活動報告
私「今日は娘がいないから話しやすいです……(笑)
……『選挙頑張ってます』というと、○○副支部長から『俺は選挙は嫌い』という声が聞こえそうですが……(笑)
<魔を破る先手!>

……5月2-3日に超重点7区の内5区を
27件回って来ました。
……あと1件というところで『車線変更違反』
という『功徳』も貰ってきました。?
……今月27-28日は夫婦、
飛行機もホテルも行動も別々ですが(爆)
……あとの超重点区の目黒区12件、
北多磨3区10件回ってきます!」

☆座談会終了後ーー
妻「今日の?座談会は良かった!
……お父さんの活動報告も良かった♪
爆笑だったね?」
私「お、久しぶりにほめられた♪」
妻「それにしても男子部と壮年部の元気のないこと!」
私「だから魔を破る先手!
親父が戦わないと息子は腐る。男子部は
未入会の奥さんに足を引っ張られている。俺は奥さんがしっかりしているから頑張れる!」
???


◎10:30地区朝発は夫婦だけ
久しぶりに夫婦で勤行唱題30分
終わったら、
妻「たまには夫婦で勤行せんなんね。そうすると夫婦喧嘩もせん」
私「もう喧嘩せんやんね」
「そうね、さんざんしてきたけんね」
「夫婦喧嘩も夫婦生活もしまくってきたけんね」
?


◎12:00告別式
最期のお別れの儀式の際の、奥さんの嗚咽される姿にまた貰い泣き。長年………60年連れ添って、苦労に苦労をかけさられたご主人の最期のお顔を見られ、ホッとされたのと、もうお世話できない寂しさと………

「奥さん、今日も綺麗よ」
「ありがと」


◎13:30本幹中継
支部長も本部長も葬儀から駆けつけ………

劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、

佐渡島の鬼太鼓(おにだいこ)
五穀豊穣祈願や厄払いを目的に、新潟県佐渡島にて行われる伝統芸能のひとつ。島内の約120地区でそれぞれの流派の鬼太鼓が行われる[1]。発祥は定かではないものの、獅子舞が変化したものであるという説と、相川鉱山にて大工が打っていた鳴り物が発展したものであるという説の、2つが有力視されている。


スペイン国王
フェリペ6世
(スペイン語: Felipe VI, 1968年1月30日 - )は、スペインの国王(在位:2014年6月19日 - )。前スペイン国王フアン・カルロス1世と王妃ソフィアの長男。


「平地は順風なれども 山頂は常に嵐なり」

ホイットマン
さあ出発しよう。悪戦苦闘を乗り越えて、決められた決勝点は取り消すことは出来ないのだ。

「大楠公」

「キリスト教があれほど広がったのは青年である。青年の力である。宣教師ではない」

信越で始められた「新・人間革命」が第30巻最終巻を迎えようとしている。

◎官兵衛
秀吉「命の使い道とは?」
官兵衛「祖父から教わりました。
命を無駄にするな」
秀吉「戦わずして勝つ」

竹中半兵衛
「その男、試してみてよろしいでしょうか」


◎西郷どん

「民って、ヤマトンチュのことだけでしょ」

「菊池さまは いつか薩摩に帰る人
佐民(さみ)おじも言ってた
私達と同じ夢は見られない人だと」

「私を――
アンゴにしてください」

?妻「ほ、もう泣きよらす」
?


◎のみとり侍(今年映画15本目)
21:50〜23:50

終わった人6/9

羊と鋼の森6/8

妻よ薔薇のように5/25

徳川 家定(とくがわ いえさだ)
江戸幕府の第13代征夷大将軍。
江戸時代後期(幕末)
生誕 文政7年4月8日(1824年5月6日)
死没 安政5年7月6日(1858年8月14日)

老中 田沼 意次(たぬま おきつぐ)
江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。遠江相良藩の初代藩主である。相良藩田沼家初代。

深川育ちの芸者
辰巳芸者(たつみげいしゃ)とは、江戸時代を中心に、江戸の深川(後の東京都江東区)で活躍した芸者のこと。深川八幡宮・永代寺の門前町は岡場所であり、遊女(私娼)と並んで「意気」と「張り」を看板にした芸者が評判となった。

目(め)に物言わ・せてやるわ
目つきや目くばせで気持ちを伝える。 
「―・して要求をのませる」

よしなに【良しなに】
《副》よろしく。いいぐあいになるように。?「―取り計らえ」


「でも藩主に忠誠を誓うのはやめた方がいい」

「このままこうしていたかったのに」


松平 定信(まつだいら さだのぶ)
江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。


青二才の傲慢ほど醜いものはない

商いを優先に開国を急ごうとした

商売繁盛だなあ

我が長岡藩の仇討ちじゃ?
?

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.161
第一章浄土宗の邪義を破す

問うて言う。念仏が無間地獄の業因だというなら、法華もまた無間地獄である。

答えて言う。一義には、法華無間とはあなたの自義であるのか、それとも経文によるのか。

一義には、念仏無間と決めてから法華も無間というのか。

一義には、祖師の謗法を承認して法華も無間というのか。

一義には、あなたがいうところの法華とは三説超過の法華をさすのか、それとも弥陀成仏が修行して成仏した法華経をさすのか。


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