◎朝
「恵ちゃん、おはよう?」
娘「おはよう。お父さん夢見た?」
「うん見よったかな」
「どんな夢? 彼女の夢?」
「恵ちゃん………」
「夢を絵に書くといいよ」
?
「俺より早よー寝て遅ーそ起きて……
やっぱり奥さんの方が長生きするよ」
妻「私が長生きせんと困るでしょうが」
「祈りの第一」
?
FB友達
『策』では無いんですよね??
しっかり唱題して参ります??
私
「そうですね。『策』ではなく『題目第一』で頑張ります。ありがとうございます???」
◎京劇「項羽と劉邦 〜覇王別姫」
湖北省京劇院日本公演
日中平和友好条約締結40周年記念
国士無双の韓信が入らば最弱の劉邦に勝機が見える 最強の覇王項羽が月夜に唸る――虞や虞や汝を如何せん
?6月16日(土)東京芸術劇場(池袋)
17:00予約済?
◎カフェネイ?
「私があんまし来るとセクハラみたいね」
「ぜんぜん」?
◎長く高い壁/浅田次郎
物相飯 (もっそうめし)
?物相に盛った飯。型から出さず、盛り切りのもの。特に、近世の牢で、囚人に与えたもの。
奉天(ほうてん)
1929年(民国18年)にはそれぞれ瀋陽市、遼寧省と改称。その後は張作霖や張学良を代表とする奉天軍閥の拠点となった。しかし鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を掌握していた。
「胸壁を巻いて流れる雲の切れ間に、万里につらなる長く高い壁が望まれた。
廠子(チャンヅ)から長城までの標高差は、百メートル以上もあるだろうか。
いざ歩き始めてみると、階段などではなくて岩山を開鑿(かいさく)した登攀路(とうはんろ)である」
山海関(さんかいかん)
「攻撃は常に仰角、守備は常に俯角ですな」
俯角 (ふ‐かく)
物を見下ろしたときの視線の方向と目の高さの水平面とのなす角。伏角。
仰角(ぎょうかく)
地面より高所にある物体を見た視線が地平面となす角。高度とも。
熱河作戦(1932年・昭和8年)
柳条湖事件(満洲事変)で満州から追い出された張学良は熱河省(満州内)で義勇軍を作り、反満抗日に動き出した。この勢力をたたくために関東軍が実施したのが熱河作戦である。
「熱河省は満州国領内であり、熱河作戦は対支戦争を起こすためではない」
「長城の向こう側の河北省は中華民国の領域だから越えてはいけない」
?関内作戦
「この巨大な壁が七千キロも一万キロも続くのだと考えただけで、もしや日本は無謀な戦をしているのではないか」
「張飛嶺というのは、三国志の張飛だね」
「………軍神の張飛でも抜けまい、という意味だそうです」
「張飛も抜けぬ長城を、関東軍は抜いたわけだ」
燕山山脈(えんざんさんみゃく)
「先生、もう答えは出ていますよ。共匪が苦力(クーリー)に紛れこんで、食事に毒を盛った。ほかに考えようはありません」
共匪(きょうひ)
国民政府統治下の中国において、共産党の指導のもとに活動したゲリラのこと。匪賊のうち共産主義を掲げる集団とされ、共産匪、赤匪、毛赤匪、中共匪とも呼ばれた。
苦力(クーリー)
19世紀から20世紀初頭にかけての、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、もしくは出稼ぎの労働者。
ただし、やみくもに徴用しているわけではない。規定の賃金は払うし、飯も腹いっぱい食わせる。北京の方面軍司令部の前には、仕事を待つ支那人がいつも集まっているほどであった。
「Wishul thinking!!」
「ところで、君は希望的観測といううまい言葉の、初出を知っているかね」
「そんなもの、知るはずないでしょう。……」
「クレメンス・メッケル少佐。………明治時代に招聘されたドイツの参謀だね。………日本の軍人をこう評価した。――彼らは総じて優秀であるが、一点だけ軍人として致命的な性格を共有する。規模の大小にかかわらず、まず理想の戦果を特定し、ひたすらそれに向かって作戦を立案する癖(へき)がある。すなわち、敗北、撤退、混乱といった、戦場に充満せる負の要素をいっさい想定せず、希望的観測によってのみ戦争を遂行せんとするのである」
?グサッ!!
………たぶんメッケル少佐の批評は、軍人に向けられたものでなはなく、日本人すべてに対する感想なのだろう。
◎大牟田温泉「最高の湯」?
6年前に引退した社長とバッタリ?
「ここはいつも誰かと会いますよ」
「昨日も原さんが来らしたですよ、新聞啓蒙に」
?
コインマッサージ機
この前は「15分200円」だったけど「15分300円」というのもある。
ボールを何個も当てた感じで、確かに300円の方が気持ちいい。
?
帰って「白のシャツ、恵のだったよ」
娘「?」
妻「お母さんが間違って入れとった」
娘、お母さんに「………信心で病気治すから」
私「恵ちゃん、発狂したいときは発狂していいよ」
娘「お父さん、浮気していいよ」
??
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八宗違目抄 p.160
文永九年二月 五十一歳御作 与富木常忍
第11章 止観に十法成乗観を引く
【解説】
したがって、十法成乗の観法の妙旨は、もし当分の立場でいえば、爾前権教の教主でさえ知ることができないのだから、まして世間の闇証の禅師・誦文の法師らの知るところではないと喝破しているのである。
「蓋し如来の下は称歎なり」とは、止観の「蓋し如来積劫懃求したまえる所」以下の文についての釈である。
止観の十乗観法は、既に法華経の教理に依って立てたところの所乗であるから、天台大師は十法を賛嘆するのに、かえって法華経の文をもってしたのである。という意である。
すなわち、迹門の教説に約すと、大通智勝仏の時以来が「積劫」して修行した“因”にあたり、菩提樹下の寂滅道場で妙悟した時が“果”となる。
これに対し本門の教説に約すと、如来寿量品の「我本行菩薩道」以来が“因”としての「積劫」にあたり「我実成仏」すなわち久遠五百塵点劫の成道が“果”としての妙悟にあたる。
このように“時”の違いはあるが、いずれも十法成観の因と果であって、法華経の迹本二門ともにこの十法を求め、悟ったことを説いているのである。