◎房子桜
我が家の母桜ももうすぐ開花?
だいぶ蕾が大きくなってきました。
◎直前持ち込み20%加算
最近はお客さんの方から
「20%加算でもお願いします」
「消費税はまだ期限内ですから、
所得税分だけ20%加算させて貰います」
今日、期限後申告3件処理。
◎帰宅時
「お、恵ちゃん、髪切った?」
「うん」
妻「お、よーお父さん気づいたね?
やっぱり奥さんより娘の方が可愛かばいな」
「それ焼きもち?」
「焼きもちとかじゃなか?
初めてやろ?気づいたの。
私はもう期待せんごつしたけん」
?
こたつで……?……
娘「お父さん、口開けて寝てたよ」
私「そうね、それはでけんね」
?
妻「堺雅人は菅野美穂と結婚してから出て来らしたね。映画にコマーシャルに。やっぱり奥さんがちゃんと支えとらすとやろ」
私「うちとおんなじやん」
「そうたい!! それを言いたかったとたい」
?
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八宗違目抄 p.158
文永九年二月 五十一歳御作 与富木常忍
第八章 華厳宗も一念三千を明かさず
【解説】
ところが華厳宗の澄観は、天台大師が一念三千の法門を説明するのに、この華厳経の「心仏及衆生」の文を引用していることから、それを利用し、華厳経にも一念三千の法門が明かされていると、こじつけたのである。
しかしながら、華厳経に説かれているのは「心が一切を造る」とあるように、“心生説”であり、“心具説”ではない。
天台大師が「心仏及衆生」の文を引用して一念三千の法門展開したのは、もっぱら法華経の意義においてその文を用いたのであり、いわゆる会入の立場である。華厳経の文を用いたからといって、華厳経の意図そのものを引用したものではない。
「会入」の「会」とは開会のこと、「入」とは入れる、おさめるの意で、会入とは開会しておさめることである。
「開会」とは、爾前権教の文を法華経の実義から開き顕して解釈することで、その解釈を法華経の法理の証明に使うのが「会入」である。
それゆえに、本文であるように、天台大師は摩訶止観巻1下で、「此の一念の心は縦ならず、横ならず、不可思議なり、但己のみ爾るに非ず、仏及び衆生も、亦復是くの如し。華厳に云く『心仏及び衆生是の三差別無し』と。当に知るべし己心に一切の仏法を具すと云うことを」と述べているのである。