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2018.2.21

2018年02月21日 (水) 00:03
2018.2.21

◎朝食???していたら
妻は今日もストーブの前で、
白い肩を出して着替えている………
「まだうしろから抱きつきたい感じばい」
「な〜ん、もうおばあちゃんになりよっとに」
「まだおばあちゃんじゃなかばい」
「そうね、それは良かった、もうその気は全然なかけん……」
?


◎二処三会(にしょさんえ)
法華経が説かれた二つの場所と三つの説法の場面(前霊鷲山会[ぜんりょうじゅせんえ]・虚空会[こくうえ]・後[ご]霊鷲山会)。

法華経の説法の場は、最初は霊鷲山ではじまり、見宝塔品第11の後半から仏と全聴衆が虚空へと移り、薬王菩薩本事品第23から霊鷲山に戻る。

?「鷲山会」とは仏界、「霊鷲山」とは九界、
「二か処で三回会う」。

仏とは、目標ではなく、現実(九界)の衆生を救済せよ?

題目をあげ、仏の生命を湧き出して、折伏に挑んでいくこと。
(N総県長:2.20pm7:00猿渡宅支部活動者会)

?そういうことか。目から鱗(うろこ)?
?


◎小平選手(産経抄)
「回り道をして遠回りに見える道が、実はもっとも近道で味わい深い」/イチロー

?本当に味わい深い言葉?
??


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

八宗違目抄 p.156
文永九年二月  五十一歳御作 与富木常忍
第四章 華厳・真言二宗の主張を挙ぐ

【本文】
此の釈の如くんば天台已前五百余年の人師三蔵
等の法華経に依る者一念三千の名目を立てざるか。

【通解】
この釈によると、天台大師以前の五百余年に出た人師・三蔵等ので法華経に依った者も、一念三千の名目を立てなかったということである。

【解説】
一念三千法門に「余経には六界八界より十界を明せどもさらに具を明かさず」(0413−18)と仰せのとおりである。

十界互具は法華経において始めて説かれたのである。守護国家論では、二乗・菩薩・凡夫のいずれも、爾前の諸経では十界互具の義を知らないことが強調され、「今法華経に至つて九界の仏界を開くが故に四十余年の菩薩・二乗・六凡始めて自身の仏界を見る」(0067−18)と、九界即仏界の義が明かされることによって、成仏の道が開かれたことを仰せられている。


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