Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2018.2.2

2018年02月02日 (金) 00:05
2018.2.2

◎朝
私「おととい、ゆめタウンで江崎(中学の時のポン友)と久しぶりにバッタリ会った」

妻「そうね」

「相変わらず彼女連れとった」

「あんまり人んこつ言わんがよかよ。墓穴掘るよ」
?

「俺はそげんモテんもん」

「うちはお金でモテらすけんでけんも〜ん」
?

◎短期のアルバイト2名
今日から3月15日までの短期のアルバイト2名。

一人は妹の息子。二十歳の福岡大学商学部の現役生。親父に似ておとなしいです。

もう一人は、30代の小綺麗な女性。
“壇蜜”に似ている感じだけど、
「銀行に勤めておられたのですか?」
「いえ、随分昔です」
近くで見るとちょっと気が強そうかな?!
でも初めての勤務なのに来客があると、サッと出て、さすが応対がバッチリ。
?

この時期のバイトは、就職支援の関与先より調達?関与先もうちも助かります。もう3年になる常勤のパートさんもそこからです。
??

◎また新規かな?
妹の接客に名刺を持っていくと……
妹「あ、こちら元クラブ○○―のママに、息子さんです」

私「あ〜!!………
お名前はよく存じ上げております。そちら出身の女性には大変お世話になりました?」(笑)

妻に話すと――
「そらいらんこったい?」
?

◎平山郁夫絵画40万円の税務処理は?
「絵画 税務」で検索したら国税庁のHP
100万円未満なら減価償却資産
「器具備品」で耐用年数8年
??


◎LAWSONの深夜バイト
大牟田でも時給1,000円?
0:00〜9:00
人手確保に必死?

◎アマゾン注文
(1)「対中外交の蹉跌」―上海と日本人外交官―
著者 在上海日本国総領事 片山和之

(2)立花宗茂


◎この忙しい時に?
2月8-9日、久しぶりに法人の調査?
逆ハーフタックス(半分給与、半分損金)のあるところ。8日に来て書類を預かっていくとの事。

?この時期にいつも税務調査?
?

◎散髪???
妻「お―??スッキリしてえ?
……そげんイケメンになってどげんするね?」

「イケメンじゃなかもん」

「真に受けてどげんするね、
オダテよるだけたい」
?


◎越路(こしじ)の雁(かり)
「上総介(かずさのすけ)忠輝儀、早急にこの城を立ち出て、武州深谷(ぶしゅうふかや)において蟄居(ちっきょ)のこと」

?忠輝=家康の六男

?武州=武蔵国(むさしのくに)

?深谷=埼玉県深谷市

勝隆は薄笑いをうかべて首を振った。
「世俗に、仏作って魂入れずという言葉もあれば、角をためようとして牛を殺すという愚もござりまする。………再びお願い? お聞き入れ下されとう存じます」

☆仏作って魂入れず
【読み】 ほとけつくってたましいいれず
【意味】 仏作って魂入れずとは、いちばん肝心なものが抜け落ちていることのたとえ。
【仏作って魂入れずの解説】
【注釈】 仏像を作っても、作った者が魂を入れなければ、単なる木や石と同じであることから。
転じて、物事は仕上げが最も重要であり、それが欠けたときは作った努力もむだになるということ。
「作って」は「造って」とも書く。
【類義】 画竜点睛を欠く/九仞の功を一簣に虧く/仏作って眼を入れず/仏作っても開眼せねば木の切れも同然
【英語】 Ploughing the field and forgetting the seeds.(畑を耕して種まきを忘れる)

☆角を矯めて牛を殺す
【読み】 つのをためてうしをころす
【意味】 角を矯めて牛を殺すとは、小さな欠点を無理に直そうとして、かえって全体をだめにすることのたとえ。
【角を矯めて牛を殺すの解説】
【注釈】 曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことをいう。
「矯める」とは、矯正する。曲がったものをまっすぐにするという意味。

【徳川家康26巻】?



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

八宗違目抄 p.155
文永九年二月  五十一歳御作 与富木常忍
第一章 諸経に三身常住の義なし

【本文】
久遠実成の釈尊は一切衆生の父であり、三徳具備の仏であることから、

寿量品に云く我も亦為世の父文
┌主─国王─報身如来
┼師────応身如来         
└親────法身如来

【通解】
寿量品に云く我も亦為世の父文
┌主─国王─報身如来
┼師────応身如来
└親────法身如来              
図示されているのである。

寿量品の仏の法・報・応の三身を主師親三徳に配されているのは、寿量品の三身相即の釈尊が三徳を具備しており、本尊として崇重すべき仏であることを意味している。

当時の仏教界は、各宗それぞれに仏や菩薩を本尊として立てていた。しかし、それらはいずれも三身相即ではないため主師親三徳を具備しておらず、しかもそのような仏・菩薩を本尊と立てることにより主師親に背く不孝大逆の科を犯していたのである。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: