◎朝、妻
「久しぶりね、お父さんの顔久しぶりに見るけん光って見える、目のおかしかばい」
「なんも問題なかった?」
「良かばっかりやったろ?
だいたいお父さんのする事
逐一、ぜ〜んぶわかっとるけん」
私「そうね、それは良かったたい」
??
◎医師の「一万円申告」(新規)
私「医師は今、働き方改革で勤務時間がすごいんでしょ」
奥さん「今はだいぶ良くなりましたか、以前はほとんど24時間勤務でした。医師が休んでいると、患者さんから文句が出るんですよ」
◎高橋教授(夕刊フジ)
実際のインフレ率〉インフレ目標……金融緩和
(失業率)
実際のインフレ率〈インフレ目標…… 引き締め
2.7% 〉2.0%
?「出口戦略」は、扇動する人。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
八宗違目抄 p.155
文永九年二月 五十一歳御作 与富木常忍
第一章 諸経に三身常住の義なし
【本文】
八宗違目抄
第二章 釈尊は三徳具備・三身相即の仏
法華経第二に云く
┼
┌今此の三界は皆我が有なり
──主国王世尊なり
├ 其の中の衆生は悉く是れ我が子なり
──親父なり
├而も今此の処は諸の患難多し┐
└唯我一人のみ能く救護をなす┴導師なり
【通解】
法華経第二に云く
┼
┌今此の三界は皆我が有なり
───主国王世尊なり
├其の中の衆生は悉く是れ我が子なり
──親父なり
├而も今此の処は諸の患難多し┐
└唯我一人のみ能く救護をなす┴導師なり
【解説】
法華経如来寿量品第16に説かれる三身相即・三身常住の釈尊は、主・師・親の具えた仏であるゆえに、その当体をもって本尊とすべき旨を経釈を挙げて示され、偏頗な仏身観をもとにした諸宗の誤った本尊観を破折されている。
初めに「法華経第二に云く」と、法華経譬喩品第3の文を挙げ、主・師・親の三徳を整足していることを示されている。
すなわち、本文で図示されているように、「今此の三界は皆是れ我が有なり」が主徳、「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」が親徳、「而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護をなす」が師徳をあらわしている。これは法華経迹門の仏が三徳を具足していることを示したものである。