◎朝
妻「昨日は寒かった〜」
私「うん、ジムの帰り車の外は2℃だった」
私「寒かときは言わんね、あっためてあげるから」
「ハイハイ…何も言わん…faceにすぐ載せるけん…」
「うん、それ載せよう」
?
◎忘年会
今年は年末になって、給料をちびっとでも上げれて良かった?
それに山下君の法人税合格、高口君のマイホーム新築。
妹の狭心症とカテーテル検査も乗り越えて……。
「事務所の経理と給料計算を誰か他にも出来るようにしてよ?」
今日は特に盛り上がりました??
?忘年会中にLINEで皆様に投げ掛け−−
「所得税と相続税、どちらが合格しやすいでしょうか?うちの山下が悩んでいるようです。皆様の意見とアドバイスをお願いします? 」
大渕税理士
「全体的には相続税だと思いますが、中島さんの例からいくと所得税になりますね〜」
なるほど????
三小田税理士
「僕は所得税は受講したけど断念しました。範囲が広すぎ。相続税は理論をクリアーしたら合格します。開業するなら相続税と思います?」
さすが的確????
伝えました?
中島税理士
「どちらも簡単ではないですね。将来の実務を考えると、相続税かなと思います。」
???
山下「いや〜有り難いですね?」
だいぶ参考になったようです。
皆さんありがとうございました??
◎帰宅11時
妻「あら、早かったね」
「うん、どこも彼女おらんごつなったけん」
?
明日は久しぶりに中洲??
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
蓮盛抄 p.152 建長七年 三十四歳御作
第八章 重ねて禅宗の天魔・外道なるを明かす
【本文】
答う爾(しか)らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず若し解(さと)らずんば禅に非ざるか
【通解】
答える、そうであるならば今の禅宗も向上のおいては悟ることができないわけである。もし悟らなければ禅ではないだろう。
【解説】
それに対し、禅宗側では「向上の一路は先聖不伝と言い逃れしようとする。向上の一路というのは“上に向く”すなわち仏の言葉も思慮も及ばない絶対的な境地に到達せんとして修行する一筋の路ということである。
もともと禅宗では、上根・中根・下根の衆生に応じて悟らせるための法門をそれぞれ向上、機関、理致と呼んでおり、ここでの「向上の一路」は上根の衆生のための法門である。
つまり、上根の衆生には経典や先達からの伝承によらずに、禅による修行のみによって一筋に言語・思慮の及ばない悟りの境地に到達する道を示すというのである。
その道は“先聖不伝”すなわち先代の聖人たちも伝えうるものではないというのが禅宗の言い分である。先の「仏祖不伝」と同じ考え方である。
これに対して大聖人はまず、先代の聖人から伝えられていないならば、そのように言っている現在の禅宗においても、向上の一路についてはだれも理解したり納得することができないのではないかと反論され、もし理解や納得ができなければそれは禅といえないのではないかと問い詰められている。