Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2017.12.21

2017年12月21日 (木) 00:07
2017.12.21

◎今日からレクサス??
前のジャガーは150万円。レクサスは160万円。10万円の境涯アップ?
まずはぶつけないように運転するだけです。
トヨタ車はやっぱり“居住性”が抜群です。
5年ローン。5年後にはO先生、N先生のようにベンツかBMWの“新車”に乗れるようにがんばります。
??

妻「今“天界”やろ?」

「魔は天界に住む」
?


◎地域を歩く(聖教20日)
『桃栗3年、柿8年、ゆずの馬鹿野郎17年』てことわざ、知っとる?
?

◎北の偽札急増(産経20日)
中国で買い物をすると、必ずと言っていいほど、店員がお札を上げて透かせて偽札でないかを、目の前でチェックした上で、さらに機械に掛けてチェックします。日本でならそんなことすると「失礼な?」となるところです。何度か偽札を見たこともあります。

レストランでも必ず「前金」です。中国、北朝鮮は『真逆の社会』。キャッシュレス社会もそんなところから発展するようで、日本とは違います。
?


◎妻よりLINE
「ゆめタウンで潔さんのポイントでラフィネでマッサージしてもらったから宜しく」

「てんのように笑顔の可愛い奥さん、okよ??」
(ゴマスリゴマスリ……?)
てん=朝ドラわろてんかのヒロイン?

夜、妻
「なんか魂胆のあろ?おかしかね、裏でなんかコソコソしよるやろ」

(やばッ?)
??


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

蓮盛抄 p.152 建長七年 三十四歳御作
第六章 毘廬の頂上を踏むとの義を破す

【本文】    
禅宗云く毘盧(びる)の頂上を踏むと、
云く毘盧(びる)とは何者ぞや 
若し周遍(しゅうへん)法界の法身ならば山川・大地も皆是れ毘盧(びる)の身土なり是れ理性の毘盧(びる)なり、 

【通解】
禅宗では毘盧遮那仏の頭の頂を踏むという。
ではその毘盧遮那仏とは何者なのか。
もし法界に周く遍する法身ならば、山川や大地もすべて毘盧遮那仏の身体である。それは理としての仏性の毘盧遮那仏である。

【解説】
前章に続いて禅宗の増上慢の教義を破られている。「毘廬の頂上を蹋む」というのは碧巌録巻10に「粛宗帝…国師に問うて云く、如何か是れ十身調御。師云く、壇越、毘廬の頂上を踏み行け」とあり、これが禅宗の人々にもてはやされていた。

粛宗帝が国師に、何をもって十身調御というのかと質問したのに対して、国師が壇越よ、毘盧遮那仏の頂を踏み越え行け、と答えたというところである。

粛宗帝とは唐の第7代皇帝、この国師とは慧忠で、碧巌録では禅宗の教えを要約した書として尊ばれた。

ここで十身調御というのは禅宗で説く十種類の仏身を統御する境地のことである。粛宗帝がその境地を得るにはどうすればよいのかと問うたのに対し、慧忠は、毘盧遮那仏の頂を踏み超えて行けばその境地に達することができると答えたという。しかも、これは慧忠の個人的見解とすまされるのではなく、まさに、ここに禅を修する者の根本的精神があるとされたのである。

この禅宗の教義に対して、まず、そもそも毘廬とはいったい何者と考えているのかと問い返されている。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: