◎徳川家康24巻
《大阪冬の陣が終わって74歳の正月明け》
二条城→矢橋→水口(みなぐち)→亀山→桑名→名古屋城→岡崎
(これが最後の旅になろう………)
(どうやらこれで、わしも大手を振って母者(ははじゃ)の前へ出てゆけそうじゃ)
信長としめしあわせて初めて上洛したおりのことが昨日のように想い出されて来るのである。あのおりには、四方はうっかり笑顔を見せられぬ危険きわまる暴民暴徒の世界であったが………
(みな泰平を喜んでいるのだ………)
岡崎での感慨もまたひとしおであった。ここには父の面影ばかりか、祖母、母、叔母と限りない追憶の糸がからみあって残っているのに、家康が、ここで苦心を重ねたころの肉親や重臣たちは、今では一人も生き残ってはいないのだ………
(時というものは、不思議なものよ)
(わが身の生まれた土地が死ぬ土地ではない………)
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?噛み締めてゆっくりと読んでいます??
◎朝、猫に
「ミー?おはよー」
妻「猫には優しかね」
「おはよー」
「境涯が仏界よりも畜生界の方が近いけん猫には優しい…餓鬼界もまだ少しある…いつになったら仏界になるかね?…あ、題目あげてる時だけね」
「幸せね」
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◎極悪と戦う26年?
1991年11月28日「破門通告書」から26年。
1991年11月20日私の税理士登録、34歳。
魂の独立記念日。
そして翌年独立。
お陰で極悪と戦い、極悪の命を切る26年。
妻「ま〜だいっぱい残っとるよ」
私「そういえば奥さんのつっけんどんもなくなったね?」
?つっけんどん ………【突っ慳▼貪】
態度や言葉遣いがとげとげしく愛想のないさま。九州の方言かと思いきや、この言い回しは江戸っ子弁からきているようです
奥さんに「破門」されなくて良かった?
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◎外務省に問い合わせ………2点
1)中国人の日本VISAは所得制限はあるのですか?−−いえありませんよ。必要書類が揃っていて要件さえ満たせば大丈夫ですよ。
私「そうですよね」
2)「知人訪問」(単なる観光を除く)とありますが−−いえ、「招へい状」で呼んで観光されるのは構いませんよ。ただし、上海でも中国人の申請が多いので、今は個人では申請はできす、指定機関に依頼することになります。上海総領事館のHPに載っています。
私「あ、それはよかった?」
?一つひとつ解決?
◎急にエンスト?
地区広布会議に間に合うように帰って来ていたら、ジャガーが何の前触れもなく急にエンスト?有明海沿岸道路の大牟田北インターを出たところで。運よく左側に停められたから良かった。井形石油の前田さんに急遽来て貰い、損保会社のロードサービスで工場行き。しばらく代車。今度は本当に買い替えになるかも?
妻「事故に遭わんで良かったたい、守られたたい」
◎娘とこたつで
私「恵ちゃん、最近発狂せんごつなったね」
娘「今風邪ひいてるから」
「そうね、ならずっと風邪ひいとくとよかたい」
「お父さん、11時、もうすぐお母さん帰ってくるよ、お母さんいないと寂しいね」
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2017.11.29
蓮盛抄 p.150 建長七年 三十四歳御作
第二章迦葉への付嘱の真意を明かす
【本文】
菩薩に五あり
大智度論巻53には次のように5つの菩提を説いている。
【解説】
「復五種菩提有り、一には発心菩提と名づけ、無量の生死の中に於いて発心し、阿耨多羅三藐三菩提の為にするが故に名づけて菩提と為す。此れ因中に果を説くなり。二には伏心菩提と名づけ、諸の煩悩を折し、其の心を降伏し、諸の波羅蜜を行ず。三には明菩提と名づけ、三世の諸法の本来、総相、別相を観じ、分別籌量して諸法実相、畢竟清浄、謂ゆる般若波羅蜜の相を得、四には出到菩提と名づけ、般若波羅蜜の中に於いて方便力を得るが故に、亦般若波羅蜜に著せず。一切の煩悩を滅し、一切十方の諸仏を見たてまつり、無生法忍を得、三界を出でて薩婆若に到る。五には無上菩提と名づけ、道場に坐し、煩悩の習を断じて阿耨多羅三藐三菩提を得」と。
すなわち、菩薩の修行の段階によって悟りの智慧を、発心菩提、伏心菩提、明菩提、出到菩提、無上菩提の五種類に分けている。大聖人は菩提に五種類あることを示されることにより、禅宗の「悟性論」で「菩提」という言葉を使っているからといって、法華経の無上菩提と同じものだと思ってはならないと破られているのである。