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2017.11.5

2017年11月06日 (月) 00:40
2017.11.5

◎鳥栖市交流
定数22、公明党は2人から3人へ挑戦、しかも2人は他市からの全くの新人。しかし、その意気込みがすごく、うちの奥さんの好感度も抜群でした。ここに集っている方々が庶民の『本物の地涌の菩薩』です。

鳥栖市の税理士全22名に種まきをさせて貰いました。奥さんと娘も一緒に。衆議院選挙で負けたこの時だからこそ、馳せ参じて、魔を打ち破る?

車内で−−
特に煮え切らない、いざというときに戦えない、弱い地区・支部の壮年部は、篩(ふるい)に掛けられているようです。

私「俺はやっぱり家庭訪問には不向きばい………弱かもん?ちょっと何か言うとす〜ぐ出てこんごつなる…なら最初からせんでいい?となる……『選挙は好かんけど今回は頑張ります』……心にもないこと言うから現象が出る」

妻「どんな人も使命があるんだから育てていってよ」

「六十にして耳従うか……」
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◎創価同窓とも会ってきました。
絶対に信心をしない条件でクリスチャンと養子結婚した、同じブラバンの7期創価同窓・旧姓大武とも会ってきました。根本は全然忘れることなく、一店舗の老舗スーパーの社長として頑張っているようです。メンバーの社員にも助けられているとの事。
ま、人生いろいろあります。
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◎鳥栖アウトレットはごった返し?
全く飽きられず、相当長く続き、まだまだ続きそう。とにかく若い人が多いこと。何がいいのかな?

妻「うどん食べてさっさ行かんでよ?洋服くらい見ていくよ」
「見るのはタダたい」

私にとっては、ここはかつて、もう10年以上も前、ウクライナ嬢との楽しい浮気の現場で、何度も来ました。つい最近まで使っていたブランド物の仕事鞄もここで買いました。まさにここだけの話?
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◎マキャベリ
『最強となったときに国の破滅が始まるのだ』
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◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

蓮盛抄 p.150 建長七年 三十四歳御作

本抄の講義に入る前に、まず、本抄全体の背景と大意、構成などについて簡単にふれておきたい。

本抄は建長7年(1255)、日蓮大聖人、聖寿34歳の御時の御述作とせれている。建長7年(1255)といえば、大聖人の立教開宗から2年後のことである。

その立教開宗において、大聖人は法華経こそ釈尊一代聖教の心髄であり、根幹であることを明らかにされるとともに、法華経の真髄である南無妙法蓮華経こそ末法の人々の機根にかなった大白法であることを宣言されたのである。

その立宗と同時に、法華経以外の経典を依りどころとしている既成の宗派を破られたのであるが、なかでも当時の日本において隆昌を誇っていた代表的なのが念仏宗・禅宗・真言宗・律宗の四宗であった。

立宗のこの時から、これら四宗すべてに破折を加えられたどうかは定かではないが、少なくとも、初期の段階から、破折されていたことは明らかで、それが後に、念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊という「四箇の格言」となって結実する。


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