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真言見聞 p.150 文永九年七月
第14章 真言の邪義を五点に絞り疑難す
与三位房日行 五十一歳御作
【本文】
一、五蔵を立つる時・六波羅蜜経の陀羅尼蔵を何ぞ必ず我が家の真言と云うや。
【通解】
一、五蔵教判を立てる時、六波羅蜜経の陀羅尼蔵をどうして必ず我が家の真言というのか。
【解説】
第五に、弘法は般若心経秘鍵という書物のなかで、般若心経を五つに区分して密教の立場から解釈するなかで、その第二の区分である分別諸乗分のなかに法華経を入れて位置づけている。
般若部と法華経とは明らかに別の経であり、しかも法華経は般若部経典も含めた40余年の説法を「未顕真実」と打ち破り、その末だ顕されない真実を明かしたのが法華経である。
したがって、般若部の経が法華経の一部として位置づけられることはあっても、法華経が般若経の一部に摂せられることはありえない。大聖人は、この当然の道理から「能く能く尋ぬ可き事なり」として、門下に深く誤りを追及するように求められている。