今朝、目の前で娘(24歳)がお母さんに、何やらお父さんに分からない一瞬の仕草をして、妻は笑っておりました。
私「ん?」
妻「ちょんちょん……お父さんが恵の肩を叩いた時の真似しよらすとたい」
私「そうね、お父さんが肩叩いたの、そげん嬉しかったね♪」
?
28日の東京戸田記念講堂での薫風大会の終わったあと、娘を見つけ後ろから肩を叩いたのが、親父としても家でこんなこともしないなあと思いながら、娘も何か感じたようです。
娘は、今月から心療内科のデイサークルというのに通い始めて、少しずつ落ち着いてきております。自宅の真ん前にあるのですが、そこには私の親父が約10年入院、私が10年前に3カ月半入院、そして今娘と、宿業というのは恐ろしいもので、三代に亘ってお世話になることになりました。
上七代……両親と両方の祖父母に、毎日お題目を送っています。?
目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生・三悪道をはなるるのみならず皆初住・妙覚の仏となりぬ、故に法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。
(盂蘭盆御書1,430ページ)
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真言見聞 143ページ
第五章 大日経指帰の偽作を指摘す?
文永九年七月 五十一歳御作
与三位房日行?
其の故は授決集の下に云く「若し法華・華厳・涅槃等の経に望めば是れ摂引門」と云へり、
<通解>
そのゆえは智証の受決集の巻下に「もし法華・華厳・涅槃などの経に対すると、大日経は摂入に誘引する方便の教えである。といっているからである。
<解説>
次に、大日経指帰を円珍大師の釈とすること自体に疑義を提出される。
その理由は同じ智証の作である受決集巻下では大日経は法華・華厳・涅槃の諸経に対しては摂引門であるとあり、指帰の釈とは矛盾しているからである。