◎日本のなんと綺麗なこと!
機内から綺麗な夕陽が撮れました。
日本の島々は本当に綺麗!
空気も町もコンビニも!?
◎奥さんへメール?
飛行機2時間遅れ、福岡空港7時ちょうど着。博多サウナ足つぼマッサージ直行!12時までには帰る?
◎11時半帰宅
妻「何も問題なかった?」
私「何も問題はないよ♪」??
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
真言諸宗違目 140頁
第四章
経文引き御自身が仏記に当たるを明かす
文永九年五月 五十一歳御作
今道隆が一党・良観が一党・聖一が一党・日本国の一切の四衆等は是の経文に当るなり、
<通解>
いま、道隆の一味、良観の一味、聖一の一味、さらに日本国のすべての四部衆たち、すなわち出家在家にわたる男女は、この経文にあたるのである。
<解説>
大聖人は、当時の建長寺道隆の一派や極楽寺良観の一派、東福寺の聖一の一派、更には日本国の一切の四衆・諸宗の僧俗は、ことごとくこの経文に該当すると断じられている。すなわち、いずれも仏法を破壊する悪人であり、無間地獄に堕することは間違いないとされているのである。
蘭渓道隆は、南栄から日本に渡来した禅僧で、北条時頼が鎌倉に建長寺を創立した際、開山として招かれた。大聖人に敵対し、幕府の要人に讒言して迫害を加えた。
忍性良観は奈良・西大寺の叡尊に師事した律宗の僧で、北条業時に招かれて鎌倉・極楽寺の開山となり、難民救済や医療施設の充実等の社会事行・慈善事業に努め、名声を得た。
文永8年(1271)夏に日蓮大聖人と祈雨の勝負に敗れた後、幕府の要人に大聖人を讒言して、竜の口法難を引き起こしている。
聖一とは、臨済宗東福寺派の開祖・弁円のことで、園城寺で得度して東大寺で受戒し、栄へ渡って禅・天台を学び帰朝して京の東福寺の開山となり、臨済宗を弘めた。
後嵯峨・亀山両上皇をはじめ、北条時頼に戒を授けるなど、権力者に接近してその庇護を受けている。
道隆・良観・聖一に共通しているのは、いずれも権力者の帰依を受けて臨済宗や律宗を弘め名声を得ているが、法華経を誹謗し、日蓮大聖人を迫害したことである。ゆえに、その一門を仏法を破壊する魔であり悪人とされているのであろう。
なお妙法比丘尼御返事には
「日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し、たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き真言は亡国の法と云うを聞き持斎は天魔の所為と云うを聞いて 念珠をくりながら歯をくひちがへ鈴をふるにくびをどりたり戒を持ちながら悪心をいだく極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす、
是れ偏に法華経を読みてよまず聞いてきかず善導法然が千中無一と 弘法慈覚達磨等の皆是戯論教外別伝のあまきふる酒にえはせ給いてさかぐるひにておはするなり」(1416−14)
と述べられており、大聖人から破折され、怨嫉した道隆・良観や諸宗の尼たちが、幕府の権力者に讒言した様子が明らかにされている。