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2017.3.27

2017年03月27日 (月) 23:40
2017.3.27

今日お客さんから一本の電話ーー
「プレミアム・フライデーおめでとうございます!」
「え、それだけで電話されているんですか?」
「最先端を行ってますね…暇だったから電話しました」
(*^▽^)/★*☆♪(*^▽^)/★*☆♪

中村総県長から電話ーー
「先日(田中正義・岸監督の出版記念会)は、ありがとうございました!」
「いえこちらの方こそ!」
「公明新聞の広告ありがとうございます!」
「あ〜今日だったですね…総県長だけですよ見てくれているのは」
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支部長と地区部長にSMSーー
「朝から微熱があり今も37.2渡ですが大事をとって会合は休んでおきます」
会合を休んで自宅にいると、ゆっくりと時間が流れます。日頃いかに忙しくしているかです。
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真言諸宗違目 
第一章 門下に流罪赦免の運動を禁ずる 文永九年五月 五十一歳御作 


◎藤河入道を以て之を知れ去年流罪(るざい)有らば今年横死に値う可からざるか 
<通解>
藤河入道ことをとおしてこのことを理解しなさい。もし藤河入道が昨年流罪されていたら、今年災難にあって死ぬことなどなかったであろう。

◎彼を以て之を惟(おも)うに愚者は用いざる事なり、
<通解>
藤河入道のことをもって日蓮のことを考えてみても、愚かな者は受け入れようとしない。

◎日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり、
<通解>
日蓮を赦免してほしいとの思いを表情や行動に出すような弟子は、不孝の者である。

◎敢て後生を扶く可からず、 各各此の旨を知れ。
<通解>
そのような弟子を未来世を救うことはできない。おのおのは、以上に述べてきたことの趣旨を理解しなさい。


更に、藤川入道のことから考えると、愚かな者には分からなくても、大聖人が赦免されないのにはわけがあるのだから、赦免されることを願い、それを顔色に出して行動するのは師に背く不孝の者であり、到底、後生を助けることはできないと厳しく戒められ、各人がそのことをよく理解するように諭されている。

大聖人にとって、佐渡への流罪は、法華経に予言された「数数見擯出」の文の身読であり、末法の法華経の行者として、当然、起こるべきして起こった難であった。

そして、幕府が大聖人を流罪してから4ヵ月後に起こった文永9年(1272)2月の北条時輔の乱は、文応元年(1260)に立正安国論で予言され、竜の口法難に際して平左衛門尉に警告された、自界叛逆難が現実となったものである。

しかし、それでも幕府は大聖人の諌暁の正しさに目覚めることはなかった。

このままでは、残る他国侵逼難が起こることも間違いなかったが、それによって為政者が覚醒することが、立正安国実現のために、どうしても必要なことであった。

安易に幕府に赦免を願うことは、そうした大聖人の御心に背くものだったのである。ゆえに、厳しく赦免運動を禁じられたのであろう。


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