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2016.12.3

2016年12月04日 (日) 00:53
2016.12.3

法華真言勝劣事
文永元年43歳御作
121ページ

『旧執改まらざるが故に』
◎本朝に於て勤操(きんそう)等に値いて此の義を習学す後に天台真言を学すと雖も旧執(くしゅう)改まらざるが故に此の義を存するか、
<通解>
弘法は、わが国で勤操等にあってこの義を修学し、後に天台・真言を学んだけれども昔の修学に対する執着が改まらないがために、この義を懐いたのであろう。

『但だ弘法一人に非ざるか』
◎何(いか)に況(いわん)や華厳経法華経に勝るの由は陳隋(ちんずい)より已前・南三・北七皆此の義を存す、天台已後も又諸宗此の義を存せり但だ弘法一人に非ざるか、
<通解>
ましてや、華厳経が法華経より勝れているという義は陳・隋代以前に南三北七の各派が皆そう考えていたし、天台大師以後もまた諸宗がこの義を立てていたのであり、ただ弘法一人だけというのではない。

『空海の義も又僻見』
◎但し澄観(ちょうかん)始見(しけん)今見(こんけん)の文に依つて華厳経は法華経より勝ると料簡する才覚に於ては天台智者大師涅槃経の「是経(ぜきょう)出世(しゅっせ)乃至(ないし)如(じょ)法華(ほっけ)中(ちゅう)」等の文に依つて法華涅槃斉等の義を存するのみに非ず又勝劣の義を存するは此の才覚を学びて此の義を存するか此の義若し僻案(びゃくあん)ならば空海の義も又僻見なる可きなり、

※僻見:
公平でない、かたよった見解。偏見。
「先入の―を去り」

<通解>
ただし、澄観が「始見今見」の文によって華厳経は法華経より勝れるというように判断した才知は、天台智者大師が涅槃経の「是の経の世に出ずるは…法華の中の八千の声聞」等の文によって法華経と涅槃経と等しいという義を懐いただけでなく、また勝劣の義を懐いたということから、その才知に倣(なら)ってそうした義を懐いたのであろう。
澄観のこの義がもし誤った考えであるならば空海の義もまた誤った見解であるはずである。

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
大聖人は、弘法は日本では三論宗の勤操に師事して華厳の義を学んだため、その後に天台・真言を学んでも、華厳経は大日経に勝るという華厳宗の教義への執着から脱しきれなかったのであろう、とされている。
 
また、華厳が法華に勝るという義は、中国の陳隋の時代よりも前の南三北七の時代からあったもので、天台大師が出現して法華経最第一の義を立てた後も、諸宗はなおこの義を用いていたので弘法一人だけの立義ではない、ともされている。

更に、澄観の立義の背景には天台大師の義を真似たところがあることも指摘されている。天台・妙楽大師は、涅槃経の「是の経の世に出ずるは、彼の果実の一切を利益し安楽する所多きが如く、能く衆生をして仏性を見せしむ、法花の中の八千の声聞、記莂を受くるを得て大果実を成ずるが如きは、秋蔵めて更に所作無きが如し」の文にとって、涅槃経は法華経を重ねて説いて純、円の妙益を得さしめようとしたもので、法華の妙益と等しいので、ともに同一の醍醐味とすることができるとした。ただし、法華経は開権顕実の義によって大神をやぶっており、涅槃経はわずかな余残の衆生を化導したものにすぎないから、涅槃経は法華経に及ばない、としたのである。

ところが、澄観はこのように「先の法華経が勝れ、後の涅槃経は劣る」とした天台大師の才覚を真似て、先の華厳経は後の法華経に勝ると立てたのである。大聖人は、この澄観の義に誤りがあるならば、弘法の立てた華厳経は法華経に勝るという義も誤りとなるのである、とされている。

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いばらの道。
ーー心に噛み締めております。


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