教義がしみついて……
法華真言勝劣事
文永元年43歳御作
121ページ
『法華・華厳・斉等の義之を存す』
(法華経と華厳経とは等しい)
日蓮案じて云く華厳宗の杜順(とじゅん)・智厳(ちごん)・法蔵等・法華経の始見(しけん)今見(こんけん)の文に就いて法華・華厳・斉等の義之を存す、
<通解>
日蓮が考えるには次のようである。華厳宗の杜順・智儼・法蔵等は法華経の「始見今見」の文に基づいて法華経と華厳経とは等しいという義を懐いた。
※「始見今見」
法華経湧出品の「此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞きて、即ち皆、信受して如来の慧に入ることを得せしむ」の文から、「仏が始めて成道した時」(始見)と、「真実の門を開いた時」(今見)をいった。
※「斉等」
あれもこれも等しくそろうこと。
☆弘法が十住心の第九に華厳経を置き、第八法華経より勝れているとしたのは、弘法自身、仏門に入ってまず華厳経を学んだので、その華厳宗の教義がしみついて、脱けきれなかったのであると破られている。
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人間、なかなか執着から抜け切れないものです。