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安国論御勘由来

2016年10月26日 (水) 01:07
安国論御勘由来

安国論御勘由来

正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時前代に超え大に地振す、同二年戊午八月一日大風・同三年己未大飢饉・正元元年己未大疫病同二年庚申四季に亘つて大疫已まず万民既に大半に超えて死を招き了んぬ、而る間国主之に驚き内外典に仰せ付けて種種の御祈祷有り、爾りと雖も一分の験も無く還つて飢疫等を増長す。
日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに御祈請験無く還つて凶悪を増長するの由道理文証之を得了んぬ、終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正安国論と号す、文応元年庚申七月十六日辰時屋戸野入道に付けて古最明寺入道殿に奏進申し了んぬ此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり、其勘文の意は日本国・天神七代・地神五代百王百代・人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて百済国より仏法此の国に渡り桓武天皇の御宇に至つて其の中間五十余代・二百六十余年なり、其の間一切経並びに六宗之れ有りと雖も天台真言の二宗未だ之れ有らず、桓武の御宇に山階寺の行表僧正の御弟子に最澄と云う小僧有り後に伝教大師と号す、已前に渡る所の六宗並に禅宗之を極むと雖も未だ我が意に叶わず、聖武天皇の御宇に大唐の鑒真和尚渡す所の天台の章疏・四十余年を経て已後始めて最澄之を披見し粗仏法の玄旨を覚り了んぬ、最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う。
……
日蓮正嘉の大地震同じく大風同じく飢饉・正元元年の大疫等を見て記して云く他国より此の国を破る可き先相なりと、自讃に似たりと雖も若し此の国土を毀壊せば復た仏法の破滅疑い無き者なり。
而るに当世の高僧等謗法の者と同意の者なり復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥よ瞋恚を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。
日蓮復之を対治するの方之を知る叡山を除いて日本国には但一人なり、譬えば日月の二つ無きが如く聖人肩を並べざるが故なり、若し此の事妄言ならば日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰之を蒙らん、但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず、復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ之を用いざれば定めて後悔有る可し、恐恐謹言。
文永五年太歳戊辰四月五日
法鑒御房 日蓮 花押

安国論別状

立正安国論の正本、富木殿に候、かきて給び候はん、ときどのか、又。
五月廿六日 日蓮 花押

(安国論御勘由来34-35ページ)


JR両国駅から国技館の前を通り、高い高いdocomoビル(?)と江戸東京博物館の間を歩いていたら、大きな銅像の後ろ姿がありましたので、誰の銅像かと思い、前に行ったら何と、亀に乗った徳川家康公でした。
研修会場のビルからは何と目の前に、東京スカイツリー!
都営大江戸線両国駅から新宿まで何と20分、初めてのルートでした。
ーーやっぱり田舎の税理士です?

研修会冒頭ーー
1)トップの判断だけで海外進出を決定
ーー俺も同じ?
2)日本人は直ぐに相手を信頼してしまう
ーー俺も?
3)フニャフニャになって撤退してきた人を、もう一度リカバリーさせるのが海外展開支援の一番多い仕事です。
ーー俺もそろそろフニャフニャ?

刺激の多い一日でした。また明日も!?


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