◎離間
この黒坊主は昨天正九年の二月二十三日、宣教師のワリヤーニが献じた二十六、七に見える印度人らしい若者で、信長はこれに弥助と名づけて召し使っていた。
「ーー惣身の黒きこと牛のごとく、かの男、すくやかなき器量なり。しかも強力十人の人にすぐれ……」
「それゆえ、それは無駄じゃと申してやった。おれの前で喜んで蹴まりをしくさった氏真、そのような者に遣わしても乱れのもとゆえ、これはきれいに一国、浜松どのに贈ろう……そう申したら、見る見る警戒を解いてゆくのがよく分った。招けば喜んで参る。案ずるな」
家臣を大切にし、実力ある者を拾いあげようと努める点では、おそらく日本一であったろう。
それが家康の嗣子(しし)、信康を切腹させるころから変わって来た。敵にきびしく味方に寛大だった信長が、いつか敵にも味方にもきびしくなった。
(接待役を仰せつかれば、まず家康の宿所を決めなければならぬが……)
「これはいったい、何者を泊める宿舎なのじゃ」
「と仰せられますると、何かお気に召さぬ節がござりましょうか」
……
「見るに及ばぬ、欄丸来いっ」
「光秀、くどいぞッ」
(何という短慮さであろうか……)
(怒気を発すると、何をするかわからぬお方……)
ただ信長ははげしい烈日の野生をわざわざむき出しにして押し通そうとする癖があり、光秀はその反対に必要以上に、重厚さをよそおう癖をもっていて、それが時には尊大にさえ見えた。
「恐れながら……」
「欄丸! 光秀を……ハゲを叩き出せ!」
(これは、ただの短慮ではない)
(これは長秀も一役買っているのではあるまいか……?)
「長秀めも臭い……」
(これは五郎左ばかりか欄丸も、この光秀を讒言していくさる…)
(そうか、側近みんなが敵であったか……)
「しかるにここへ、そのわれらに代わって接待役を仰せつかり、四国、中国へ出陣をまぬかれようと考える者があるとしたら、その者はどうした策略を弄すると思うぞ」
「讒者の言を信じるは、右府さまのお心、すでにわれらを離れておわすゆえと判断するよりほかにあるまい」
「殿! それでも殿は怒られませぬか」
「電光石火が、上さまご作戦、よいかの、われらの心はすでに決まっている。どのようなご難題をこうむろうと騒いでは相ならぬぞ」
「えっ、落雷お取り消しとは?」
「なに、このまま勤めよと、上さまが……フーム」
(また何かお気にたくらみおるな)