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人間なぜこのように愚かなのであろうか

2016年01月12日 (火) 16:06
人間なぜこのように愚

◎入道雲
家康にとって雌伏の期間であった、天正四、五、六年の三年間は信長にとっては完全にその覇業の基礎を固めさせた、破天荒な活躍期間であった。

「では、やはり折りを見て、甲州を先に攻められましてはいかがでござりましょう」
「たわけめッ!」
……
「それこそ徳川が大きゅうなりすぎ、安心して西に兵を割けなくなるわ。よい年をしてたわけた事を申すなッ」
光秀はむっつりと口をつぐんだ。
(家康だけは信じている……)

「あの、徳姫の手紙とは……?」
「それ、さまざまに築山御前や信康がことを愚痴って参ったあの手紙じゃ」
「あ、あれならば手文庫の底へ……」
……
「出せ!」

「あの手紙でのう、おれは家康に信康を斬らせる決心をしたのじゃ。御前にそれが分らぬはずはよもあるまい」
「分るゆえに、おとどめ申しまする」

「ふつつか者はよく分っておりまする。が、ふつつか者には、ふつつか者の婦道がござりまする。こればかりは思い止まって下さりまするよう」
「ならぬ!」

「この姫の手紙、仰せのとおりお渡し申しまするほどに、さ、この濃もこの場でお手討ちなされて下さりませ」

「なに、手討ちにせよと……」

「お方もまた、あの明智のハゲの従妹だわい。……ハゲ奴、……坊主を殺すと七生祟るというような愚にもつかぬ意見をな。……」

「築山御前は哀れな乱世のいけにえ、……ところが殿はそれを楯にして、姫から良人を奪い、築山どのを失うように謀られる。濃も同じ愚痴な女子、さ、お手討ちなされて下さりませ」

「お方、お方も白紙になるがよい。信長も白紙に帰ろう。信康が家中でどのような風評を浴びているか、まず、それをただそう。よいかお方、その上で、信康を討とうと言ったおれがむごければさらりときれいに水に流そう。その代わり、お方が無理と気がついたら、もう意見はするな」

「三河の衆、さ、ずっとこれへ」

(ーーそうだ。お館はもはや天下人であった……)

「さて、これは他人には聞けぬことゆえ両人にたずねるが、予の婿信康の風評、家中で余りよくないと聞いたが、なぜであろうかの」

忠世も忠次も、信長の胸中に信康をのぞこうとする考えが潜んでいようなどとは思いもよらなかった。
彼らはいずれもわが身の光栄に感激し、信長の言葉を逆に解していった。
(右大臣になられて、信長公はいよいよわが婿を可愛いものにお思し召されている……)

「恐れながら、内府さまの御名をあげられ、信長公とて、比叡山、長島などでは、何百、何千の僧侶を討たれた。余が殺したはたった一人、悔いているゆえもう責めるなと、いやはや、出向いたそれがしが、さんざん叱られました」

「僧侶でありながら兵を養い、武力をふるって天下の平定をさまたげる。これは僧形をなして聖地を犯す憎むべき乱賊ゆえ、仮借なく撃ったのだ。それとこれとを混同するとは、三郎めも困ったわがまま者じゃ」

「勝頼でさえ甲斐のあとを継ぐには足りぬ。怒ると侍女の口を引き裂き、僧侶を鞍につけて引き殺すようではのう」

「何よりも重臣どもに嫌われているのが案じられる。……その上いまだにわれらを仇と罵る母御がついている。この執念と信康の短慮とが、もし万一ひとつになる時があったら、家康の首に内から縄をかけるやも図られぬ。家康が倒れるときは、東日本が再び乱世に戻るときじゃ」

濃御前は泣き伏したままで心で叫んだ。
(人間は……人間は……なぜこのように愚かなのであろうか。なぜもっと冷静な思案を持って生まれて来ぬのか……)


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