第6巻
◎女刺客
築山御前の密命どおり、うまくお万の方を刺したとして、この厳重な見張りの中をどうして外へのがれ出ようか……?
(これはお万の方よりずっと美しい!)
(いまだ!)
と思いながら、なぜか喜乃は体がすくみ手がしびれた。
「あっ……」
「ええ、離してッ!」
「お騒ぎなさいまするな」
「騒いではあなたのためになりませぞ」
「そちは築山御前と大殿の不仲を知っているかの」
「そのときから、この作佐にはこなたの心はわかっていた。こなたの草鞋(わらじ)はかかとばかりがきれている。急ぐ旅、心に惑いのない旅では草鞋は爪先から切れるものじゃ」
喜乃「築山御前はどこまでわらわが憎いのか、鬼じゃ!蛇じゃ! そなたは、そうは思わぬか」
(お万の方は私を憎んでいるのでは……?)
お愛「岡崎のお城の中にも梟はいようの」
喜乃「はい、梟も鷹も……」
「なるほどのう、鷹が来れば小鳥は追われる……」
お愛(もはや、御前は狂うておられる……)
◎火柱
家康「長篠を陥す鍵、その鍵を持っているのじゃ」
むろん人眼をしのぶ密使。それを一言も家康は近侍にももらさぬ用心ぶかさであった。
(苦しいときほど落ち着かねばならぬ)
「勝利のあかつきには本領安堵を」
「第二には、われらが若殿、貞昌さまに一の姫をくだされたきこと」
「そうか、美作が予に生命をくれようとか。よしよし、姫だけではなるまい。姫にのう、新領三千貫を添えて取らそう」
亀姫のきびしい抗議の顔を思いうかべながらそう言った。
「はい。お味方と決まった以上はハッキリと申し上げまする。実はおふうはわれらが娘、われらの娘ではならぬゆえ、一族六兵衛さまが娘として……」
五郎左に打ち明けられて、なぜ彼が涙ぐんだかそれもわかった。
家康は思わず微笑して、
「そうか。いまが衝くべきときか」
うなずきながら、しかし、まだ奥平美作に一抹の不安を覚える家康だった。
……
美作の策謀など、易云として見破る者がいそうな気がしてならなかった。
……
美作の人柄は信じながら力を危ぶむ……というのがいまの家康の心にかかる一点だった。
世間では、奥平美作父子は徳川家に随身したというであろうが、
(言ってもよい!)
「さて、これからが大切なところだて」
六兵衛「それならば待っていたのだ。わしが徳川に内通したという疑いであろうが」
「甲府はな、ここよりもまた山深い。寒さも暑さもきびしいゆえ、体をいとえよ」
「これが怒らずにいられるものか。まさかこれは信玄公のお指図ではよもあるまい」
信玄はすでに死んでいるーーと確信しながらふてぶてしく言い返した。
「名などはいい。が気の毒ゆえ知らしてやろう。おぬしの主人はいま首を討たれたぞ」
(主人の大事を知っていて、あのように落ち着いていられるものかどうか?)
こうしたあとで徳川方への加担を知ったら、千丸もおふくもただの磔では済むまい。甲斐には釜ゆでと火焙りがあるそうな。
(千丸、許してくれよ)
行く先はわが持ち城の滝山城だった。