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苦しいときほど落ち着かねばならぬ

2015年11月18日 (水) 23:20
苦しいときほど落ち着

第6巻

◎女刺客
築山御前の密命どおり、うまくお万の方を刺したとして、この厳重な見張りの中をどうして外へのがれ出ようか……?

(これはお万の方よりずっと美しい!)

(いまだ!)
と思いながら、なぜか喜乃は体がすくみ手がしびれた。

「あっ……」

「ええ、離してッ!」

「お騒ぎなさいまするな」

「騒いではあなたのためになりませぞ」

「そちは築山御前と大殿の不仲を知っているかの」

「そのときから、この作佐にはこなたの心はわかっていた。こなたの草鞋(わらじ)はかかとばかりがきれている。急ぐ旅、心に惑いのない旅では草鞋は爪先から切れるものじゃ」

喜乃「築山御前はどこまでわらわが憎いのか、鬼じゃ!蛇じゃ! そなたは、そうは思わぬか」

(お万の方は私を憎んでいるのでは……?)

お愛「岡崎のお城の中にも梟はいようの」
喜乃「はい、梟も鷹も……」
「なるほどのう、鷹が来れば小鳥は追われる……」

お愛(もはや、御前は狂うておられる……)


◎火柱
家康「長篠を陥す鍵、その鍵を持っているのじゃ」

むろん人眼をしのぶ密使。それを一言も家康は近侍にももらさぬ用心ぶかさであった。

(苦しいときほど落ち着かねばならぬ)

「勝利のあかつきには本領安堵を」

「第二には、われらが若殿、貞昌さまに一の姫をくだされたきこと」

「そうか、美作が予に生命をくれようとか。よしよし、姫だけではなるまい。姫にのう、新領三千貫を添えて取らそう」
亀姫のきびしい抗議の顔を思いうかべながらそう言った。

「はい。お味方と決まった以上はハッキリと申し上げまする。実はおふうはわれらが娘、われらの娘ではならぬゆえ、一族六兵衛さまが娘として……」

五郎左に打ち明けられて、なぜ彼が涙ぐんだかそれもわかった。

家康は思わず微笑して、
「そうか。いまが衝くべきときか」
うなずきながら、しかし、まだ奥平美作に一抹の不安を覚える家康だった。
……
美作の策謀など、易云として見破る者がいそうな気がしてならなかった。
……
美作の人柄は信じながら力を危ぶむ……というのがいまの家康の心にかかる一点だった。

世間では、奥平美作父子は徳川家に随身したというであろうが、
(言ってもよい!)

「さて、これからが大切なところだて」

六兵衛「それならば待っていたのだ。わしが徳川に内通したという疑いであろうが」

「甲府はな、ここよりもまた山深い。寒さも暑さもきびしいゆえ、体をいとえよ」

「これが怒らずにいられるものか。まさかこれは信玄公のお指図ではよもあるまい」
信玄はすでに死んでいるーーと確信しながらふてぶてしく言い返した。

「名などはいい。が気の毒ゆえ知らしてやろう。おぬしの主人はいま首を討たれたぞ」

(主人の大事を知っていて、あのように落ち着いていられるものかどうか?)

こうしたあとで徳川方への加担を知ったら、千丸もおふくもただの磔では済むまい。甲斐には釜ゆでと火焙りがあるそうな。
(千丸、許してくれよ)

行く先はわが持ち城の滝山城だった。


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