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織田信秀、土田御前、吉法師

2015年08月16日 (日) 18:03
織田信秀、土田御前、

◎春におく霜
「うむ。今は駿府にいるであろう竹千代よ。竹千代め、このわしには厄介な土産を一つおいてゆきくさった」

「岩室(いわむろ)がことよ」

熱田の社家加藤図書助が弟岩室孫三郎の娘

すでに四十二歳の父。その父が十六歳の少女の愛におぼれてゆくさえ苦々しい限りなのに、その岩室が中心になって、信長廃嫡(はいちゃく)の火の手を、また家中にあげて来たのだ。

「それ、お許の弟、岩室次盛が娘、たしか名は雪とか申した。貰いに参った。おれにくれい」
「え!」

「ごーーご家督は弟の勘十郎信行さまに」

「そこな女!」

「三日!」
「返事を聞きに参る。思案しておけ」

(信長めが父の心も知らずに)

「わしにはそなたも知ってのとおり二十五人の子供がある。……」

「万一のときにはな、よいか、信長に相談せよ、信行には相談するな」
「な……なぜでござりまする。信行さまの方がずっとおやさしいのに」
「それじゃ。信行は誰にもやさしい。誰にもやさしい者はいざというとき役には立たぬ。誰にも利用されて己れがない。信長はな、そなたに戯れながら、このわしを諌めたのじゃ。そなたにいえばわしに通じる。油断して渦中の乱れを招くな。西からも東からもそれを狙っているものがあると諌めたのじゃ」

「岩……いわ……」

「殿、ご遺言を……」

「なに? 何と仰せられまする。ご家督のことは、勘十郎信行さまに。はッ、かしこまって……」

岩室殿ははッとした。連歌の浄書のできるほどの筆蹟は見事な岩室殿だったが、さすがに権六の今の言葉はおそろしかった。

「なぜ書かぬのじゃ!」

「書けませぬ。殿は何とも仰せないものを」

(何はともあれ、これでは完全に陰謀ではないか。とすれば彼らははじめからそのつもりで……)

「しまったッ!」


◎花供養
気がつくと信長のカッと開いた大きな眼からポトリポトリと涙が落ちてくる。
「人生わずか五十年……八年早くしまわれた」

「泣くなよ。三河の竹千代より、十年以上もわしは父をながく持った……」

竹千代は敵の手中の人質だったが、内には幸福な団結を持っていた。しかし信長は外にも敵、内にもまた敵であった。
……そうせずには治まらなかった事情は誰も考えようとはしなかった。

「お濃ーー」
「信長の涙、二度とは見せまい。笑うなよ」
「は……はい」
「父はな、たった一つ、この信長に、大きな遺産をのこしてくれた。それがそなたに分かるか」
濃姫はすなおに首を振った。
「この信長を最後までわかってくれた。信長こそは父の見残して果たせぬ夢を見る奴と……それを信じて下された」
「父上さまの夢とは」
「いまにわかる。尾張一国の信長ではあるなという……織田一家の興亡より、ずっとずっと大きな夢!」

「ーーそれがし吉法師さまのおそばにある限り、必ず織田家は滅ぼさせませぬ」

「織田家など滅んでもやむを得まいて、もっともっと大きなものがお栄えになされたら」

「では、あとをしかと頼んだぞ。家中の動き、空気をな」

「おお立つともよ信行。武人が戦場で倒れず、畳の上で往生する……得難い徳の賜ものじゃ。愛妾と同衾中とはそれにまた輪をかけている。この上なしは極楽往生。笑う奴は笑うても、心の中では羨望しよう。小賢しい孝道などを喜ぶ父か」

「ーーおぬしは愚直な忠義者ゆえ、女子供にもだまされる」

「信長はなあ権六。尾張に乱入されて戦うほど臆病者にも、分別者にも生まれておらぬ。相手の槍が動くと見ると、すかさず踊り入って敵の息の根をとめて来るわ。安心して遺骸を本城に移し、すぐに葬儀の支度にかかれ」

「兄上の仰せのとおりがよろしかろうと存ずる」
信長はぎろッと眼をむいて舌打ちした。信行のこの気の弱さが信長にはたまらなかった。その場の空気次第で自分がない。八方美人でありたいくせに小才と野心だけは持っている。

うなだれた柴田権六は葉を食いしばって、ポトリ、ポトリと膝へ涙をおとしていた。


濃姫は気が気ではなかった。すでに読経がはじまっているのに、依然として喪主信長の席は空いたままなのだ。
(何か途中で変事でも……?)

「殿は……昨夕……お出ましのまま」

(このような反感の中で、いったい殿はどうして一族をまとめてゆくのか……

「あっ!」
「殿! 殿でござる。殿がお見えになされました」

「あっ!」
「なんということ、藁の縄をしめてござるぞ」

と、信長はぐっと右手をさしのべて掌いっぱいに香をつかんだ。
「あーー」
見よ! 信長は掌いっぱいにつかんだ香をいきなりパッと父の位牌に投げつけたのだ。

(私だけに良人の心がわかりまする……)
瞼にうかぶ信秀に、父の死を知って落涙した信長の本心が知らせたかった。
(どうぞあの人をお護り下さるように……)

三歳の市姫「父(とと)さま、死んだ……?」

政秀
(何のために……?)

(大殿! お許しなされませ)
この政秀の育て方に、何か手ぬかりがあったような……

徳川家康第2巻獅子の座の巻
2015.8.3-8.15(13日)


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