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出口の見えない苦しみの中で

2015年07月16日 (木) 22:40
出口の見えない苦しみ

今日の聖教の87歳のおばあちゃんの信仰体験は、本当に感動しました。「全てを御本尊に安心して任せきる確信」。30年! 最後は涙がでました。

「出口の見えない苦しみの中で」
……が、自分と重なります!
上海がいまだに全く見えないのです。
でもそのおかげで「普通の人生ではあげきれないほどの題目をあげさせてもら」っています。


「なんで唱題が楽しく
なるか分かりますか?
それは結果が
必ず出るからです」

◎信心には「ゆとり」が大事です。ゆとりがなければ、焦りが生まれます。焦りがあると、唱題が苦しくなる。……ゆとりは、一つも悩みがあることではありません。全てを御本尊に安心して任せきる確信のことです。……なかなか結果が出ないと、やきもきしますよね。でも題目をあげ通すんです。すると全部ええようになっていきます。……御本尊は絶対やねんから。出た結果に一喜一憂せんと、「これは何か意味がある」「いい方向に決まっている」と、感謝で捉える生き方が、「ゆとり」と思うんです。

◎「どうにかなる」の言葉には、どうにかしたい意思と、どうでもいい諦めの両方があります。人生、諦めたら何事もそこで終わりです。……つまり御本尊のために汗と涙を流してこそ「どうにかなる」もんです。反対に祈りもせんと、「どうにかなる」とあぐらをかいたら、ずるいと思います。それは池田先生のおっしゃる「楽観主義」ではありません。

◎ なんで唱題が楽しくなるか、分かりますか? それは結果が必ず出るからです。だけど題目は一番易しそうで、一番難しい。なにせ「苦楽ともに思い合わせて」祈り続けることが難しい。だけど続けてこそ、なんぼですねん。

◎出口の見えない苦しみの中で、「一体いつまで、題目をあげればええんかな」と……。
30年祈り続けました。ふと思ったんです。そうや、私が生きてる限り題目をあげ続ければええんや。すると不思議なもんで唱題が苦でなくなりました。
「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり」
大地を的にして、題目を染み込ませていく。そのために私は生まれてきたんです。息子が命を使って教えてくれたおかげで、普通の人生ではあげきれないほどの題目をあげさせてもらいました。だからわたしには、題目をあげる礎ができたんです。苦しみの30年が感謝の30年になりました。


※今日は今からあと1時間あげ9千遍(2時間15分)。今月25日、ちょうど母親の83歳の誕生日に今年になってやっと100万遍いけそうです。1日1万遍(2時間半)をベースに年内にあと100万遍以上あげ、累計で2,200万遍までいきたいと思います。その中で「徳川家康全26巻」も読破していくつもりです。

「移転価格」
「事業承継」
「徳川家康」

来年400万遍、再来年も400万遍で3,000万遍達成できればと思っています。

3年前の奇しくも「9・18反日デー」の日に2,000万遍達成し、その後の胸中題目は全てご破算。2,000万遍では「2,000万円の借金返済」でチャラ。「全関与先500件!」ーー今年の分からカウントを再開しています。

年頭に立てた「年間目標」
「題目第一の年ーー祈り願い切る」
の通りになってきました。
今使っているお数珠は先生から貰ったものです。(^.^)


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