7日10:30福創会総会/九州池田講堂に参加したあと、35回目の上海へ。
7日〜11日まで上海出張します。
11日は大阪経由で帰ってきます。
ちょうど会合が少ない期間ですが、よろしくお願いします。
※今日の新人間革命も、私のために
「拙政園、寒山寺に行ってきなさい!」
と先生からの励ましと、勝手に受け止めさせて頂きました。
(*^^*)
拙政園(せっせいえん)。
蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つ
寒山寺(かんざんじ、簡体字:?寒山寺、拼音:Hánshānsì)は、中国江蘇省蘇州市姑蘇区にある臨済宗の仏教寺院。
蘇州の旧市街から西に約5キロメートル、蘇州駅南南西3キロメートルの土地にあり、寒山拾得の故事で名高い。楓橋路に面しており、唐代の詩人・張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」(ふうきょう やはく)の石碑があることでも知られる。
◎「楓橋夜泊」(ふうきょう やはく)
名を天下に知らしめた漢詩 寒山寺 楓橋夜泊
■詩原文
月落烏啼霜満天、 月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇城外寒山寺、 姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半鐘聲到客船。 夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る
■詩の意味です。旅愁を誘います。
月は沈み、カラスが鳴いて、夜空に霜気が満ちている。川辺の紅葉した楓樹、そして漁船のいさり火が、旅愁で眠れないわたしの目に映る。
ふと姑蘇城外の寒山寺からボーン、ボーンと、真夜中を告げる鐘の音がわたしの舟にまで聞こえてきた。
「霜満天」は、霜が降りそうな寒気が辺りに満ちていること。古来中国では、霜や露は天から地上に降るものと考えられてきました。
「江楓」「漁火」は、いずれも暗闇に赤々とした色彩を添えています。「愁眠」は旅愁のためなかなか寝付けず、うつらうつらとまどろむさまをいいます。
「姑蘇城外」は、蘇州の町はずれ。「姑蘇」は、蘇州の古名。「城外」は、町を囲む城壁の外をいいます。「寒山寺」は、蘇州の西郊、楓橋の東南二百メートルにある寺の名。「夜半」は、真夜中。「客船」は、旅人である作者の張継(ちょうけい)が乗っている舟を指します。舟中で浅い眠りにうとうとしているところへ鐘の音が響いてきます。随分と時間がたったと思いきや、ああ、まだ夜中であったかと、やり過ごしようのない秋の夜長に旅愁を深めています。
「楓橋夜泊」は、旅愁を歌った名作として愛誦されている七言絶句で、寒山寺の名を天下に知らしめた詩でもあります。「楓橋」は、蘇州(江蘇省)の西郊にある橋の名。運河に架けられた石橋です。蘇州は水郷です。城内城外のいたるところに水路が通じています。「夜泊」は、夜間舟を岸につないで宿ること。当時、日没後は城門が閉まって城内に入れないので、城外の水路に停泊して夜を明かします。
作者の張継はこのとき蘇州の西のはずれの楓橋に船をとめて一夜をあかしたのですが、それは大運河の船旅の途中だったのでしょう。ただし張継は伝記がよくわからない人で、いつ、どういう事情で旅をしていたかはわかっておりません。しかしそうした前後の事情などを超越して、この詩は旅愁を詠じた名作として愛唱されてきました。
■作者は謎の多い人物ですがこの詩のみで後世に名を残します。
張継は、字は懿孫、生没年未詳。中唐の詩人です。天宝十二載(753)の進士で、大暦年間に洪州(江西省)の塩鉄判官(財務担当の属官)となり、検校祠部員外郎(札制を掌る官庁の散官)の官位を授かっています。古今の絶唱「楓橋夜泊」一首によって後世に名を残しています。