【上海の街角で 井上邦久】
軍、憲、警、党の誰かが意図的に陶器の肖像を割ったのか?近所の悪童が面白半分に石を投げたか?検証の術はありません。ただ、その反応が如何にも重い竹内好よりも、荒れた時代の傷んだ墓地にありがちなこととして、リアルな割り切り方をした堀田善衛の方に不在者投票の一票を投じたい気分です。
魯迅の月命日に重なった日曜日、魯迅公園で墓を遠目に見てから記念館に入りました。魯迅の正妻の朱安さんの写真の展示が続いているかどうかの確認目的でした。北京女子師範大学生の許広平との大幅な年齢差を超えた北京での師弟間恋愛、広州での不倫逃避行、そして上海での同居重婚生活。それらの男女関係は、共産党の社会になってからの魯迅神格化とともに美化され、忌避されて久しいのですが、文革以降さすがにリアルに物事を語る人が出てきました(喬麗華『我也魯迅的遺物 朱安伝』上海市社会科学出版社。藤井省三『魯迅 東アジアを生きる文学』岩波新書)。魯迅夫婦と母親が「同居」していた住宅を改装した北京の記念館は当然ですが、上海でも魯迅の正妻の存在について、写真付きで紹介され続けていることを再確認しました。何となく安心した気分で魯迅公園をあとにして、南口から上海外国語大学グラウンドでの野球見物に回りました。
「もしも今日、魯迅がまだ生きていたら、どうなっていたでしょうか?」1957年、上海で行われた座談会で出された問いに「私が思うに、牢屋に閉じこめられながらも、なおも書こうとしているか、大勢を知って沈黙しているかだろう」・・・毛沢東の言葉です。