◎はしがき
猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺を寄せているだけなのである。
◎第一の手記
自分は隣人と、ほとんど会話ができません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
◎第二の手記
淫売婦によって女の修業をして…めっきり腕をあげ…『女達者』という匂いがつきまとい…
◎第三の手記
一
他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の門以上に薄気味悪く、……誰とも、附き合がない。どこへも訪ねてゆけない。
二
「生意気言うな。おれはまだお前のように、縄目の恥辱など受けた事がねえんだ」
ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ。
「ツミの対語は、ミツさ。蜜のごとく甘しだ。……」
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。
◎解説
1
自分自身、自分の本心をすべてわかっているだろうか。自分の心の底は自分でもはかりがたい。そして、他人の心はさらにはかりがたい。どう努力しても、お互いに本心をいいきれない。
2
大富士に一輪の月見草……しかしそういう生き方は、しだいに太宰の生きる場所を狭めていったのであった。
3
故郷と他郷、自分と他人……そして自分の姿勢に、どこにも本心のないウソだらけ「道化」を見る。恐怖感や疎外感のなかで人間界を追放された「お化け」を見る。
一般に歴史の流れは、古い権威を負った「父」と新しい血で反抗する「子」の新旧の対立だった。……「あの懐かしくおそろしい存在が、もういない」……それゆえ「子」は「父」に象徴される古い道徳に反抗しているものの、どこかで「父」に折れていて、「父」への親愛を消しきっていない。反抗は「父」に向けられていても、「父」は「子」を反抗者としての生き方そのものをも包みこんでいるため、「子」は完全な反抗者たりえない。
いったい自分の本心とは何だろうか。
◎鑑賞ーー父というもの 本田治子(作家)
「私は、その男の写真を三葉、見たことがある」
……作家、太宰治は私の父親である。
極めて正常なのに、狂人を装い、愛するオフィーリアに、「尼寺へいけ」と叫んだあのハムレットの心と通じるものがあるように思うのです。
「葉ちゃんは、……神様みたいないい子でした」
母親のようにひしと抱き締めてくれることはなくても、いつも遠くから暖かくみつめてくれているーー。そう思うと、高校生の時も、四十歳を過ぎた今も、泣きたくなるのです。
太宰治の『人間失格』は、何よりも私に「父性」を教えてくれた作品です。
2015.4.15 機内にて 福岡空港着