「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」この経文そのものは、過去世・現在世・未来世の三世に渡る生命の因果律をといている、しかし、佐渡流罪の大難の中で記された「開目抄」では、この心地観経の経文を通して、さらに深遠なる「妙法の因果」の理法を鋭く表されていると拝されます。すなわち、過去生世からの宿命は、今世で必ず転換できる。広宣流布のために、三類の強敵と勇敢に戦い抜く中で
、いかなる宿業も断ち切ることができる。難を勝ち超えて、大果報の未来を開く事ができる。
運命は嘆き悲しむものではない、決然と立ち向かうものである。いな、断固として創り変えていくものである。過去の因に縛られ、現在の果を嘆く人生は不幸です。確かに、一面では過去の因があって今がある。しかし、今の自分の境涯を高めていくことで、過去の因は、悪因ではなくして善因となる、過去に囚われない。いな、過去さえも変えていくことができるのです。そして、今けの瞬間の一念が変われば、それが「現在の因」となって「未来の果」をいくらでも変えていけます。日蓮仏法は、太陽の仏法。現実を変革し、未来を創る希望哲学です。わびしさや諦めなどない。くよくよ愚痴をこぼすことなどありません。
今の一念がどうか。それによって、常勝の道が深く、強く、出来上がっていく。生死流転の苦しみを断ち切り、勝利と栄光の果を創造していけるのです。