心に残るフレーズ
佐藤 優/朝日新書
第1章
集団的自衛権容認の真相
ーー公明党は本当に押し切られたのか
反射的に公明党か、あるいはその支持母体の創価学会を肯定的に評価するお話など聞きたくないという反応をする読者もいると思う。
…私の経験上、公明党とか創価学会という言葉を聞いた瞬間に思考停止してしまう人が多い。
私はプロテスタント(カルバン派)のキリスト教徒である。日蓮仏法が信仰の基盤になっている創価学会の宗教観とは、神の存在という基本的な点で相容れない。
公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。
第2章
歴史的に見た創価学会、公明党、日蓮正宗
軍部政府は、いかにも愚劣で、狂信的で、わが同胞に対してすら暴力的で、不条理であった。そのような狂信をもたらしたものの根源が、軍部政府の精神的支柱であった「国家神道」にほかならないことを、彼は骨身にしみて熟知していたからである。
「教育の目的、そして人生の目的は幸福の追求にあり、その実態は価値の創造」
「小学校長としての現職のまま、この教育学説、今後の学校長に残してやりたいのだ」
「先生、やりましょう。先生の教育学は、何が目的ですか」
「価値を創造することだ」
「では、創価教育と決めましょう」
第3章
「池田大作」の思想と行動
<国家主義というのは、一種の宗教である。誤れる宗教である。国のために人間がいるのではない。人間のために、人間が国をつくったのだ。これを逆さまにした“転倒の宗教”が国家神道である>
「転倒の宗教」の祭主は権力を振るう者たちである。その「権力には魔性がある」と池田氏は言う。
第4章
“うさんくささ”と政教分離をめぐる攻防
おそらく矢野氏は、政教分離原則から政治のことに関しては、創価学会側を煩わせません、政治の領域については、党が担います、という論理で動いていたのだろう。それは狭い永田町での権力ゲームにしか過ぎなかった。創価学会という宗教団体が持つ価値観から乖離していまったのだ。
後に矢野氏は、創価学会と対立することになるが、公明党が過度な世俗路線に走りそうになると、常に池田氏が軌道修正を行う。王仏冥合の精神が、生きているのである。
逆に共産党は、意外に思う人も多いかもしれないが、ナショナリズムに依拠している。反米、反北朝鮮感情を煽り、あるいは領土問題で、反ロ感情、反韓国、反中国感情を煽る。
社民党は反米感情を煽る。加えて、近未来に警戒しておくべきは、排外主義を掲げた政党が誕生する可能性だ。
ナショナリズムに依拠する政党や排外主義政党を除外すると、現実的な選択としては、公明党が残る。
第5章
創価学会インターナショナル(SGI)と世界宗教
創価学会の海外布教は、初期キリスト教の伝播と類似的に見ることができる。
新約聖書の「使徒言行録」にある「サウロの回心」ーー
キリスト教の宗祖・イエスは自身をユダヤ教徒だと認識していた。…ユダヤ教は、神の律法を遵守する人間のみが神に救済されると説く。つまり、「義人」以外は救われない。
それに対し、イエスは罪人も神に救済されるという。
…
「なぜイエスは罪人たちと食事をするのか」
<医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」…行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである>
(マタイによる福音書)
「サウロの回心」は、キリスト教徒を捕縛し、エルサレムへ連行するためにダマスコ(現在のシリア・ダマスカス)へ向かう途中に起きた。
「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」
「主よ、あなたはどなたですか」
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町へ入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」
キリスト教を信じる人びとを迫害していたパウロがキリスト教徒に転向し、伝道者となった意義はどこにあるのだろうか。
結論を言えば、ユダヤ教と訣別し、キリスト教を世界宗教へと変貌させる先鞭をつけたという点にある。
イエスの死の直後、「教団」と言えるだけの信者はいなかった。
<イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された>
ぺトロ「兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた」
…イエスの死後の二、三カ月の信者数は多く見積もっても数百人程度だったのだろう。
313年のミラノ勅令でキリスト教が公認された頃には、300万人前後にまで増えた。こうした爆発的な教勢の拡大は、パウロがキリスト教を世界宗教へと転換させたことが契機となったのだ。現在、キリスト教の信者は、全世界に約20億人いると推定されている。
この流れを創価学会に置き換えてみよう。
1960(昭和35)年 海外への本格的な布教活動
1975(昭和50)年 SGI設立
1990(平成2)年 宗門との訣別
パウロの場合と順序は一致していないが、教団が成長する要素という点で共通している。特に、創価学会が主導したSGI結成の意味は大きい。
「創価学会は、永遠に『折伏』の団体である」
創価学会は、戸田城聖が獄中で悟達した「法華経は宇宙生命そのもの」という理念を絶対視しいる。
<「博士(トインビー)は、世界国家、世界連邦がまずできて、その段階で世界宗教が広まり、やがて理想的な社会が達成されるであろうと述べておりました。
しかし、私は、世界宗教が広まった後に、世界国家、世界連邦という人類の理想的な社会が達成できるのではないかと主張したのであります」>
ある意味でローカル宗教とも言える日蓮仏法を、SGIは民族、人類の垣根を越えて布教し続けている。
ナショナリズムと普遍性は両立しない概念
アーネスト・ゲルナー
「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」
ナショナリズムの高揚を批判する人も、批判した時点でナショナリズムに捕らわれることになる。
どこの国であってもSGIは、人権問題、平和問題に敏感だ。
韓国SGIの会員数は、150万人を超える。韓国SGIの多くのメンバーは、独島は韓国の領土だと考えているだろう。歴史認識に関しては、日本による植民地統治時代を、否定すべきものとして当然捕らえている。
台湾SGIメンバーは、魚釣島は台湾領だと考えているはずだ。
韓国、台湾のSGIともに、自国のナショナルな価値を尊重している。しかし、ナショナリズムを煽るようなことはしない。
<日本はもっと、アジアの人々から信頼されるよう、真剣に誠実に努力していかなければならない。だからこそ、互いの文化の根底をなす思想や哲学に光を当て、共に理解し合い、学び合っていく対話が重要である>
「創価学会の活動すべてが『池田大作』という名前と結びついている」という表現に違和感を持つ読者もいると思う。しかし、古来、宗教や思想が個人の名前と結びつくことは珍しくない。…偏見を持たないほうが、物事がすっきり見えてくるものである。