「行学の二道」を励みゆけ
この生命
御書と共に
勝ち開け
変毒為薬の
宝剣かかげて
四国出身の哲人・中江兆民
「哲学なき人民は、なにをしても深い意味がなく、浅薄さをまぬがれない」
困難に打ち勝つ哲学!
人生を生き抜く智慧!
正と邪を見抜く英知!
人類を結びゆく熱願!
新時代を照らす希望!
「御尋ね候事ありがたき大善根にて候」
「仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ」
本年十一月、牧口先生の殉教から七十年。
「ただ経文を以て信仰して居るので安心している」
「何の不安もない。必ず『変毒為薬』となると存じます」
「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」
戸田先生
「法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」
「信の一字をもって、一切をつらぬいていることを、知らなくてはならない」
「民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、その根底をなしていることを、読みとらなくては、また無意味になることを知らなくてはならない」
「必ず三障四魔と申す障りいできたれば賢者はよろこび愚者は退く」
「自分の姿で仏法の力を証明する」
「各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」
“宗教革命とは、人類の幸福の直道なり。
そのためには、自らがこの大哲理をば実践し、会得しゆくことだ”
インド文化国際アカデミー
ロケッシュ・.チャンドラ
「人類が何千年もの間、抱き続けてきた夢ーーその夢の中から生まれ、今、聞こえてくる歌声。それが創価学会なのです」
辛くとも
今日も御書を
拝しつつ
誇りも高く
笑顔で飾れや
『御書』を拝し『境涯』を開こう!
苦難は誉れ、透徹した信心の眼を磨け
教学試験を通し自他共に大成長を!
2014.9.23
中江兆民
なかえ ちょうみん(1847〜1901)
職業・身分政治家、ジャーナリスト出身地(現在)高知県
生没年月日弘化4年〜明治34年12月13日
(1847年〜1901年12月13日)
思想家。父は高知藩士。長崎、江戸でフランス学を学ぶ。明治4年(1871)フランス留学。7年帰国後、仏学塾を開く。8年元老院権少書記官となるが、10年辞任。14年『東洋自由新聞』創刊、主筆となる。フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となる。20年藩閥政府の横暴を批判し、保安条例により2年間の東京追放処分を受ける。23年第1回衆議院議員選挙に当選したが、翌年辞職。ルソー『民約論』の翻訳『民約訳解』、『三酔人経綸問答』、『一年有半』など多くの翻訳・著作がある。
一年有半・続一年有半 (岩波文庫)
中江 兆民,?井田 進也