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1.社会主義計画経済下の労働者

2014年08月14日 (木) 23:49

1949 年の中国建国以降、中国政府は、社会主義計画経済を選択し、資本や労働力と いった代表的な資源・生産要素に対して、厳格な統制を行った。その結果、1950 年代 半ばには、それまで存在していた私有資本の国有化が終了し、すべての経済活動は政 府によってコントロールされるようになった。
企業が必要とする労働力も政府によって調達されるようになり、すべての都市部の 労働者は「固定工」(終身雇用)とされ、賃金は政府によって統一的に決定された。こ れにより、労働者は職業選択の自由を失い、企業は労働者の募集・採用・解雇の権利 を失った。
この固定工制という労働政策は、終身雇用で失業する心配がないため、「鉄飯碗」(落 としても絶対割れない鉄の茶碗、日本語でいう親方日の丸)と呼ばれ、労働者の勤労 意欲が喚起できなくなり、労働生産性が大きく低下するなどの弊害があった。
加えて、当時の中国政府は、重工業を優先する経済発展戦略をとっていたが、重工 業企業は労働力を吸収する能力が弱かったため、都市部では就職難の状況が続き、1978 年には、就職先を待つ「待業者 1」 が 530 万人に達した。さらに、「上山下郷運動 2」 に より都市部から農村部に行かされていた数百万の青年が、一斉に都市部に戻ってき たため 3、 就職難はさらに深刻な問題となった。
この様な状況に対し、中国政府は、既存の労働政策では就職難を解決することは困 難であると判断し、柔軟な雇用方法を模索することとなった。

1 実際は失業者であるが、当時は失業を認めないので「待業者」といわれた。
2 都市部の就職難を解決するため、教育を受けた都市部の青年を農村に行かせる運動 3 1975 年 1979 年には、毎年 100 万人を超える青年が都市部に戻ってきた。


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