第1章
いまをときめく郷士
ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
人と日常
さほど昔のことではない、ラ・マンチャ平原の、どこであったか、さる村に郷士がいた。
郷士の歳はかれこれ五十。…この郷士暇さえあれば、ほぼ年中暇であったが、騎士道小説を読み、日課のような狩猟も田畑の管理もほったらかし、読み耽って、現をぬかし、あげく、騎士道本を手にいれるために幾町歩も人手に渡した。
「我が言問いに答えられし言問いの、余りの理不尽に我が言問いの、事切れんばかりなれば、汝が麗しきの怨めましきも、道理(ことわり)ならん」
騎士のなかの騎士は誰か。
狂ったのである。そして、ここまで狂うものかと呆れる奇想天外を思いつくに至った。遍歴の騎士になろうと考えたのだ。それは自分の名誉を高め、ひいてはお国へのご奉公にもなる。自分の道はそこに定まった。世界が自分の到来を待ち望んでいる。甲冑(かっちゅう)をよろい、馬に跨って騎士道を行かねばならぬ。武者修行の旅に出るのだ。本で読んだ騎士たちも皆やっている。あれに倣おう。世の不埒を懲らし、戦場でめざましく功(はたら)き、艱難辛苦に堪えぬけば武門の誉れ、名は永久(とこしえ)に鳴りひびく。
兜ができれば、つぎは馬。…「ロシナンテ」…「ロシン」で用済み、「アンテ」で先駆、先の用済みから再起した馬の先駆けとして申し分ない名である、と我ながら唸った。
馬の名ができれば、つぎは自分の名である。自分の名をつくるのに八日かかった。出来た名がドン・キホーテである。