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結実〜道程

2014年05月24日 (土) 03:30
結実〜道程

◎結実
「頑張るか?」
山本伸一は、間髪を容れず答えた。
「はい! お願いいたします」
一瞬の気合であった。決定的な瞬間である。時は既に熟していたのだ。一年前、戸田との運命的な出会いとなったあの夏の夜、山本伸一が予感したことは、今、避けがたい現実となったのである。
紀元前四九年、シーザーは、「骰子(さい)は投げられた」と言って、ガリアとイタリアの境を流れるルビコン川を渡り、ローマに進軍した。

「妙法への帰命」……つまり、それは、広宣流布の師である戸田城聖に仕え、守り抜き、その構想をことごとく実現し、師弟不二の大道を全うすることであったのである。

戦時中、神道を強制して大失敗をしたわが国は、終戦後、いかなる哲学と道徳とをもって、復興すればよいのか。

◎宣告
この二つの裁判は、戦勝国が法廷を構成し敗戦国の戦争責任者を審判するという、世界史上にも例のないものであった。

一国が誤った宗教を尊崇し、正法を弾圧する時、梵天・帝釈が治罰を加えさせるーーという仏法の法理が、かくも正確に、最後の裁判まで貫かれた実証を見たのである。

では、東京裁判を行った連合国の目的というものは、いったい何であったのか。それは、戦前の長年にわたる日本の政治の暗部を暴露すること自体にあったのかもしれない。

三七年(昭和十二年)十二月に起きた南京虐殺事件は、その内容に諸説があり、実態が明確ではないが、相当な残虐行為があったことは確かである。

「宣教師の南京暴行事件の證言(しょうげん)あり。虐殺、強姦、暴行、破壊、數時間にわたって縷々證言して尽くる所なし。吾人をして面(おもて)をおおはしむ。日本人たるもの鬼死(きし)すべし」

民衆を基盤にしない限り、何もできない時代にしていくことだ。民衆が為政者を使いこなして、民衆が幸福に生きるために一切がある、という時代にしなければならない。

しかしA級戦犯の二十五人の被告たちが、この残虐行為を指令し、命令した者として、さらにその責任を問われるならば、原子爆弾の使用を決定し、命令した者こそ、「人道に対する罪」を犯した者として、最高の戦争犯罪者に問われるべきでないか。

ユネスコ
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」

昭和二十三年ーー。
吾れ二十歳、今、正に過ぎんとす。
苦悩の一年。敢闘の一年。
……

◎道程
大衆は賢である。大衆を、いつまでも愚と思っている指導者は、必ず大衆に翻弄されていくことになるだろう。
至難に思われる広宣流布も、時と条件とが問題であって、それをいかにして創るかに、一切の困難と辛労が、かかっている。
遥かなる千里の道は、それがいかに困難であろうと、辛労をいとわず、一歩一歩を進める以外に、克服する道はない。すなわち、指導者の億劫の労苦によってのみ、時を促し、条件を調えることができるのである。

「俺は、恥をかきに来たのではない。森川、いったい、どうしてくれるんだ!」

「実は、君に今日限り、ここを辞めてもらいたいのだ。突然だが、組合として、よくよく考えた末の結論だと思ってもらいたい」

これが三障四魔だ…
「大悪起これば大善きたる」

「信心で勝負だ。 やってみろ! 未来にどういう結果が出てくるか、裸になって信心をやり抜いてごらん」

「お父さんの信心も、大したもんだなあ。よし、ぼくもやるぞ。……そうだ、今夜は、みんなで失業したお父さんを祝ってあげよう」

「先生、実は、そのことで困っているんです。森川さんが座談会で、俺は仕事を辞めさせられたが、変毒為薬してみせるなどと言うものですから、みんな信心を疑いだしているんです」
「みんなじゃない。まず、君がだろう」

『過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし』

森川君一家は、功徳だと喜んでいる。関係のない諸君が、それを疑って罰を受ける。

戸田城聖は、この夜、鶴見の地に、見事な信心の布石をしたのである。広宣流布は長い道程である。だが、戸田の歩む索漠たる瓦礫の道には、新しい生気に満ちた緑の草が、その足跡に、必ず、はつらつと萌えたのである。


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