三十五年前は私二十一歳
今娘が二十一歳
三十五年後(ニ〇四九年)は私九十一歳
生きているだろうか?!
今のままじゃあ無理だな
緒方先生も私も妻も共々に
メモリアルパーク(^^)/
輝かしき五月の三日
共戦の同志よ 正義の大道を断行と!
さあ出発だ!広布の誓願に燃えて
「よろこばしい青春よきたれ ここに
そして見よ 明けはなれゆく朝を」
英国の詩人ブレイクは歌い上げた。
タンポポは、けなげだ。
踏まれても、踏まれても立ち上がる。他の草花が成長する一足前に、春を告げて黄色い花を咲かせる。
どんな困難の嵐も乗り越え、あの地でも、この地でも、朗らかに対話の花を爛漫と咲かせる広布の母たちの姿と、重なってならない。
◎仏法は誰のために
共戦の
正義の同志(とも)に
凱歌あり
仏法は、なかんずく法華経は、いったい「誰のため」に説かれたのかーー。
七百四十年前の五月に、日蓮大聖人が認められた「法華取要抄」には、明快に記されている。
「滅後衆生の為なり」
「我等が為なり」
濁悪の世に生きる民衆のために仏法はある。民衆を苦しめる悪とは徹して戦う。ここに仏法者としての生き方がある。
昭和五十四年の五月三日。
私は、横浜の神奈川文化会館に到着した。会長職を辞した直後である。会館にも、眼前に広がる山下公園にも、多くの同志が連日集まってこられた。
御聖訓の通りに生き抜く人生である、ゆえに法難は当然だ。私は、命より大切な学会を死守するのみだ。
目の前に洋々と広がる海を眺め、世界の広宣流布へ新しき開拓に誓いを込め、私は「共戦」、そして「正義」と書き留めた。
この神奈川文化会館での誓いから三十五年ーー。
当時、約九十カ国・地域であったSGIは今や百九十ニカ国・地域へと大発展を遂げ、若き「共戦」の陣列が澎湃(ほうはい)と躍り出ている。
これが、何よりの「正義」の「勝利」の証しである。
◎責任をもって立て
「全部、自分たちで責任をもって考えよ」
私は恩師から、そのような訓練を受けてきた。
哲学者ベーコン
「若い人々は判断するより考案することに適し、忠告より実行に適し、決まりきった仕事より新しい企画に適している」
「この人、この青年、二十年後、必ず檜舞台に立たせねばーー。責務重大なり」
「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延ぶならば千万両の金(こがね)にもすぎたり」
一瞬一瞬が勝負だった。
今できることを一歩一歩と着実に進めていった。
任命から一ヶ月余で青年部は五千人結集を達成し、半年後には倍増の一万人を成し遂げたのである。
◎青年が希望の鐘を
昭和三十三年五月三日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、七年ごとの前進を期す「七つの鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長の時代であった。
この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の二番目に時であった。
当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わが命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信用につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていことは、言うまでもない。
今、学会はニ〇〇一年からニ〇五〇年まで「第二の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして明ニ〇一五年の「五・三」は、ちょうど二番目の鐘が鳴り終わる節目である。
この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
それは、後継の宝の青年である! わが敬愛する直弟子の君たち、貴女(あなた)たちである! 成長頼もしい未来部のみんなである!
今、「第二の七つの鐘」の総仕上げへ、青年部は「SOKAグローバルアクション」と銘打ち、生命尊厳と平和の思想を社会へと発信している。
◇
六十年前の昭和ニ十九年五月三日、戸田先生
さまざまな悩みを抱えていたとしても、「しっかり信心して、来年のきょうは、功徳をうけた顔で、われもわれもと集まっていただきたい」
私も今、同じ心である。
さあ、明年の五月三日へ、勢いよく出発だ!
かのブレイクは叫んだ。
「私は進み続ける。そして何ものも私の進路を妨げることはできない」
誓いたる
勝利の道を
勇み征け