五四 浪子燕清(えんせい)、主人盧俊義の難をすくう
虜俊義「おや、どうしたんだ、その格好は?」
燕青「ここでは話ができませんから……」
虜俊義はどなりつけた
「おれの家内はそんな人間じゃない。このやろう、でたらめも休み休みいうがよい!」
「だんなさまも背中には目玉がおありになるわけじゃございませぬ。じつは奥さまは前々から李固とあやしい仲だったのです。今で大っぴらに夫婦きどりです。だんなさまがお帰り遊ばしたら、きっとえらい目にお会いになります」
虜俊義は目をあけてみた。何と浪子燕青ではないか。夢ではないかと思った。
「このふたりを殺したために、罪はいよいよ重くなった。さてどこへ逃げたらよいか?」
「何もかも、宋公明のせいです。かくなるうえは、梁山泊にのぼるほかに、行き場はございません」
五五 大刀関勝(かんしょう)、宋江に帰服する
宋江「うわさにたがわぬあっぱれな将軍だな!」
林冲これを聞いて大いに怒り、
「何をくそ!」
関勝大喝して
「なんじがごとき小賊には用はない。宋江を出せ。聞くことがある」
関勝「小役人の分際をもって、なにゆえ朝廷に弓を引くのだ?」
宋江「朝廷に女干臣(かんしん)はびこって、忠義の士の道をはばみ、貪官汚吏(どんかんおり)天下に充満して民百姓を苦しめております。われらは天にかわって道を行わんとするものであって、さらに異心はありませぬ」
「ほざいたな。巧言令色をもってごまかすつもりか! いざ、すみやかに馬を下りて縛(ばく)につけ。きかぬとその身を粉々にくだいてくれようぞ」
と、宋がきゅうにいくさ中止の鉦(かね)を鳴らさせた。
林冲・秦明は馬を返して、
「すんでにきゃつをつかまえるところを、なぜとめられた?」とつめよる。宋江、
「われらは忠義を旨としている。ふたりでひとりにかかるのは感心しない。かりにつかまえることができたとしても、彼の心を服せしめることはできぬ」
五六 張順(ちょうじゅん)、神医安道全(あんどうぜん)を梁山泊にひき入れる
安道全「宋公明どのは天下の義士だ。そりゃ今すぐにも行ってなおしさし上げたいのは山々じゃが、何しろ……」
といってしぶるのだった。この先生は最近妻を亡くして、目下健康府の色街の芸者李巧奴(りこうど)というのに夢中になっているために、健康府をはなれたがらないのである。
李巧奴「いやいや、行っちゃいやよ! いやでござんす。やるもんか。どうでも行くんなら、もう二度とうちには上げてやらないから……」
五七 呉用、計略をもって北京城(ほっけいじょう)を攻め落す
「わっちらにやらしてもらいます」
といってとび出したものがある。みれば、鼓上蚤時遷(じせん)であった。
「北京(ほっけい)めぬきの中心といえば、河北第一といわれる、翠雲楼という大きな酒楼だ。あすこに火をつけやしょう」
魯智深と武松は行脚僧…鄒淵(すうえん)と鄒閏(すうじゅん)は灯籠売りにばけて…
五八 盧俊義、史文恭をいけどりにする
呉用はこれに計略をさずけて、史文恭のところに走らせた。
「宋江はただ千里の馬がほしいばかりで、講話する気はない。もし馬を返せば、また気を変えるだろう。…」
史文恭はこれを信用した。……みずから掘ったおとしあなの中で折りかさなって落ちて死ぬもの数知れず。
虚空にいちめんの晁蓋の怨霊があらわれて、史文恭にまとわりついてはなれぬ。史文恭、やむなくもと来た道を引き返すと、浪子燕青とばったり出会った。つづいて玉麒麟虜俊義が出て来て、大喝一声、
「うぬ、どこへ行く!」
一同、忠義堂に集まり、宋江が祭主となって晁蓋の慰霊祭を行い、史文恭を殺してそになきがらを霊前にささげた。
「わたしと虜員外とでくじを引き、どっちかさきに城を破ったものが梁山泊の主となることにするのだ。この案はどうだろう」
「おもしろい」と呉用
五九 百八の英雄、忠義堂に集まって誓いをする
宋江は陣頭に立った董平の風貌を見て、すっかり気に入ってしまった。彼の矢壺にさした小旗には、
英雄双槍将(えいゆうそうそうしょう)
風流万戸侯(ふうりゅうばんここう)
かくて梁山泊軍は、ふたりを捕虜にしたものの、張清ひとりのために十五人の頭領に傷を負わされたのみか、劉唐をいけどりされたのである。宋江は舌をまいて感嘆したまはや計略をもって張清をつかまえるほかはない。呉用はたちまち一計を案じた。
張清は宋江の義侠に感じないわけにはいかず、叩頭して降伏した。宋江は酒を地にそそぎ、矢を折って、これまでの恨みを忘れようと天に誓った。
かくて全軍梁山泊に凱旋し、一同忠義堂にならんですわった。
宋江は頭領たちを見渡した。ちょうど百八人である。そこで宋江がやおら口をひらいた。
「わたしは諸君のお力によって、この山の主に立てられたのであるが、ここに百八人の頭領をえて、まことに喜びにたえない。晁蓋どのご昇天ののち、いくたの戦さをへたにもかかわらず、ただのひとりも欠けることなく、ぶじ今日に至ったことは、これはひとえに上天のご加護のよるものであって、人の力でできることではない。この百八人が一堂に会するということは、じつに古今未曾有の盛事と申すべきです」