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ガンジー・アシュラム

2014年03月10日 (月) 23:36
ガンジー・アシュラム

第七部

61 プーナにて
教育のある人や金をもっている人が、積極的に貧乏人の状態を受けいれ、三等で旅行し、貧乏人にはない楽しみを持つことをやめ、虐待、非礼、不正義を、しかたがないことだと避けて通らずに、それらの除去のために闘うこと、そうしないかぎり、改革は不可能であろう。

62 シャンテイニケタンにて
「君が一年インドにいたら、君の意見は自然に訂正されてくるよ」

63 三等車乗客の悲哀
あわれなことは、彼らが往々にして、彼らの行儀の悪さ、不潔さ、自分勝手にふるまっていることに気づいていないことである。彼らは、自分たちのやっていることは、どれもこれも当然のことだと信じている。これらのことは全部、私たち「教育のある」者の、彼らに対する無関心に原因しているのである。

64 道場(アシュラム)の建設
だが、彼らを受け入れたことは、これまで道場を助けてくれた友人たちの間に、大騒ぎを起こした。まず第一の困難は、バンガローの持ち主と共同で使っている井戸に関して起こった。水汲み当番の男が、私たちのバケツからこぼれる水で自分が汚れてしまうと言って反対した。そうして彼は、さんざんわたしたちをののしり、悪口を言ってドウダバイをいじめた。

65 インド藍の染料
チャンパランの小作農民は、法律によって、その土地の二十分の三は、領主のためにインド藍の栽培に当てなくてはならなかった。この制度では、二十カタ(1エーカー)のうち、三カタにインド藍を栽培しなくてはならなかったから、この制度はテインカテイア制度として知られていた。

66 非刹生(アヒンサ)に直面して
法律によると、わたしは裁判にかけられるはずであった。ところが本当のことを言えば、裁判にかけられるのは政府であった。税務監督官は、わたしを捕らえようとして広げた網のなかに、政府を落とし込むのに成功しただけであった。

67 撤回された訴訟
わたしは、助けに来てくれ、という農民の切なる要請に応えてやって来たのであった。

そして政府は、政府が受け取った情報に基づいてのみ行動するものであることを、わたしは事実として認める。

わたしが刑の宣告を受けに法廷に出頭する前に、治安判事は書面をよこして、州副知事がわたしに対する訴訟の撤回を命じてきた、と、知らせてきた。

68 村落に入り込む
「見てください。箱のなかにも棚にも、ここには着物は一枚もありはしません。わたしが今着ているこのサリーが、わたしのたった一枚の着物なのです。どうしてわたしは、洗えますか。マハトマジーに言ってください。もう一枚サリーがあればね。そうすれば、わたしは毎日水浴をして、さっぱりした着物を着ますよ」

69 取り除かれた汚れ
「貴下の調査は大分延びている。貴下はただちにそれを中止して、ビハールを立ち去るべきではないか」

「調査の長引くことはしかたのないことであり、人々に救済がもたらされないかぎり、わたしにはビハールを離れる考えは毛頭ない」

約一世紀の間存在していたテインカテイア制度はこうして廃止され、それとともに、農園主の支配も終わりを告げた。長い間おしひしがれていた農民たちは、今いくらか本来の彼らに立ち返った。そして「インド藍の汚れは洗い落とせない」というのが迷信であることが暴露された。

70 労働者と接触して
税を払えない農民を指導してもらいたい

わたしは労働者に対し、ストライキをやるようにすすめた。わたしはその前に、紡績工やその指導者と非常に密接に接触をもった。そして彼らに、ストライキの成功する条件を説明した、

一、けっして暴力に訴えてはいけない。
一、ストライキ破りを無視せよ。
一、他人の義援金に頼るな。そして、
一、ストライキがどんなに長く続こうが、終始断固とした態度をとれ。そしてストライキ中は、何かほかの正しい労働によってパン代をかせげ。

71 断食
「ストライキ労働者が元気をとりもどし、ストライキを続けて解決に到達するか、さもなくば、彼らがすっかり工場をやめてしまうか、それまでわたしはいっさい食事に手を触れない覚悟である」

アナスヤベンの両頬に涙が伝わって流れた。労働者たちは叫んだ。
「あなたはいけません。私たちが断食します。あなたが断食したら、それこそたいへんです。どうか私たちの堕落を許してください。これからは最後まで忠実に誓いを守ります」

「諸君は、何も断食することはない。諸君が誓いに忠実であれば、それで十分なのだ。…諸君はしたがって、何か労働して最低の生活なりとも営めるよう試みるべきである。そうすれば諸君は、ストライキがどんなに長びこうとも、平気でいられよう。わたしの断食のほうは、ストライキが解決されればやめることしよう」

72 ケダ・サッテイヤーグラハ
「われわれの各村落の収穫が四アンナに達しないことを知って、われわれは政府に対し、来年までの税の徴収を停止するよう要請した。しかし、政府はわれわれの嘆願を聞き入れなかった。したがって、われわれ、以下に署名した者は、われわれ自身の意志に基づいて本年の納税額の全部、あるいは未納分を政府に支払わないことをここに厳粛に宣言する。…」

73 「ねぎどろぼう」
たいせつなことは、役人は人民の主人ではなくて、反対に彼らが納税者から俸給を貰っているかぎり、人民の召使いである、ということを農民にわからせて、それによって彼らの恐怖心を取り除いてやることだった。

民衆がどんなに勇敢に振舞っても、初期の段階では、政府は強硬策をとろうとしなかったようである。しかし、民衆の決意がいささかも動揺の兆しを示さなかったので、政府は脅迫をし始めた。

74 ケダ・サッテイヤーグラハの終末
だれが貧乏人であるかを決定するのは、民衆の権利であったが、彼らはそれを行使することはできなかった。彼らが権利を行使する力を持っていないということは、わたしを悲しませた。したがって、終結はサッテイヤーグラハの勝利として祝われたけれども、わたしは手放しで喜ぶわけにはいかなかった。というのは、完全な勝利になるために不可欠のものが欠けていたからであった。


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