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ガンジーを出せ

2014年02月27日 (木) 15:53
ガンジーを出せ

第四部

29 南アフリカへの嵐の到着
私たちの乗ってきた船は、ボンベイ出帆の日から二十三日目まで、隔離に処することを命令された。ところが、この汽船隔離の裏には、保健上の理由以上のことがあった。
ダーバンに住む白人たちは、インド人の本国送還を扇動していた。そして、隔離命令が出されたのも、この扇動のためであった。…彼らは、ありとあらゆるおどかしの演説をした。

というのは、真の目標にされているのは、このわたしだったからである。わたしは、二つのことで、けしからぬと攻撃された。
一、インドに帰っていたとき、わたしがいわれのない避難をナタルの白人に行ったということ。
二、わたしが、汽船二隻にインド人を乗せて連れて来て定住させようとするのは、ナタルをインド人で満たすためである。

「ガンジーだ、ガンジーだ」

「ガンジーを出せ」

「あなたは変装してこの家から逃げ出してください」

老いぼれガンジーの首くくれ
酸っぱいりんごの木のうえで

「わたしはだれも処罰したいとは思いません…彼らを処罰して、はたして何の益がありましょうか?」

「加害者を処罰してはいけない、というのがわたしの信念です」

30 子供の教育と看護
わたしは一九二〇年、青年に対して、奴隷の城ーー彼らの学校および大学ーーから抜け出るように呼びかけた。そしてわたしは、彼らに向かって、奴隷の鎖につながれて学芸教育を求めるよりは、自由のために無筆のままにとどまり、もっともいやしい仕事をしたほうが、はるかにまさっていることである、と忠告したことがあった。

31 簡素な生活
洗濯屋の請求書が高かった。

「洗濯代がべらぼうに高くつくんでね。カラーの洗濯代が新しいカラーを一本買うぐらいなんだ。それでいて、洗濯屋をずっと頼っていなくてはならない。自分のものは自分で洗うほうが、ずっとわたしにはいいなあ」

あるとき、わたしはプレトリアでイギリス人の理髪屋に行った。彼は、わたしの散髪をけんもほろろに断った。わたしが、むっとなったことは確かだった。しかしわたしは、その足でバリカンを求めてきて、鏡の前に立って、自分の髪を刈り出した。前のほうを刈るのは、どうにかうまくいった。しかし、うしろのほうはやりそこなった。裁判所の友人連中は、腹をかかえて大笑いをした。
「君の髪は、いったいどうしたんだい、ガンジー君。鼠にでもかじられたのかい?」
「白人の理髪屋が、わたしの黒い髪を見て、さわるのを断ったんだよ。それで、わたしは自分で買ったというわけさ。まずくてもしかたがないよ」
…彼が肌の黒いやつに奉仕をしたら、彼のお客が来なくなることは確実なことだった。

32 回想と懺悔
部屋ごとに便器の壺が備えられていた。これらの掃除は、下僕や掃除夫よりも、むしろ妻とわたしの受持だった。…妻はほかの者の壺はどうにかしたが、もとは「アウトカースト」だった人が使ったものを洗うことは、我慢ができないことだった。そこで私たちの間の喧嘩となった。

「そのざまはなんだ。この家では許さんぞ」

「ご自分で家のことはおやりなさい。わたしは出て行きます」

「わたしに、どこへ行けとおっしゃるんですか?ここには、わたしを引き取ってくれる親も身寄りもありません。いくらあなたの妻だからといって、ぶたれたり、蹴られたりされて、黙っているとお思いになるんですか?」

33 ボーア戦争
イギリスの支配に対する忠誠心にかられて、わたしはイギリス側に立ってその戦争に参加した、と言っておくだけで十分であろう。

インド人居留民はますますよく組織されるようになった。わたしは、契約労働者といっそう親密さを深めた。彼らの間に、一大覚醒が起こった。そして、ヒンドウ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、タミール人、グジュラート人、およびシンド人は、みなインド人であり、同じ母国の子供たちであるという感情が、彼らの間に深く根をおろした。

試練の時にこそ人間性の最もよき一面が現れ出るものである。

その日ーー私たちの前進の日ーーは、むし暑い日だった。だれでものどがかわき、水を求めた。途中に小川があった。私たちはそこで渇をいやそうとした。けれども、だれがまっ先に飲んだらよいのか。私たちは、イギリス兵が飲み終わってからにする、と申し出た。だが彼らは初めでは困る、あなたたちが先に、とすすめてくれた。そしてしばらくの間、気持ちのよい譲り合いの競争が続いたのである。

34 衛星改良
インド人は生来無精者で、家や近所を清潔にしない、と避難されてきた、

しかし、わたしは苦い経験をいくつもなめた。居留民にその義務を行わせようとするときは、その権利を主張するときのようには彼らの力をあてにできないことを、わたしは知った。わたしは、いくつかの場所では恥辱で、他の場所では丁重な無関心で迎えられた。

改革を欲しているのは、改革者である。社会ではないのである。社会からは、彼は、反対、蔑視、そして生命にかかわる迫害のほかに、よりよいものを期待すべきではない。改革者が、命そのものように大切にしていることでも、社会が退歩だと言わないとはかぎらない。
真実は、大きな樹木に似ている。諸君がそれを養えば養うほど、それだけ、多く身を結んでいる。真実の鉱山にあっても、深く探求を進めれば進めるほど、奉仕の種類もいよいよ多様さを加え、そこに埋もれている宝石の発見されることも豊富になってくる。


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