第三部
19 南アフリカに到着
ナタルの港はダーバンで、それはまたナタル港として通っている。アブドウラ・シェートが、そこまでわたしを迎えに来てくれた。船が桟橋に横づけになった。…そのときわたしは、インド人がたいして尊敬されていないことに気づいた。わたしは、アブドウラ・シェートの知り合いの人々が彼に示す態度、動作のなかに、横柄さがあるのを見落とさなかった。そしてそれがわたしを辛くさせた。アブドウラ・シェートは、それに馴れきっていた。人々がわたしを眺める目には、はっきりわかるほどの好奇心といっしょに、それがあった。わたしの服装のために、わたしは他のインド人とは違って見えた。わたしはフロックコートを着こんで、頭にベンガル・プーグリをまねしたターバンをのせていた。
彼は兄弟が、一匹の白象を送ってくれた、と思った。わたしの服装とか生活の様式を、彼はヨーロッパ人のように金のかかったものと思った。
彼は、どれくらいわたしの能力と正直さを買っていただろうか、彼は警戒して、わたしにプレトリアに行かせなかった。
その間じゅう、じっとわたしを見ていた裁判長は、ついに口を開いて、わたしに向かってターバンを取れと要求した。わたしは、そんなことはいやだと言って、そのまま裁判所を出た。
わたしはこのことを新聞に投書して、わたしが法廷でターバンを取らなかったことを弁明した。この問題は新聞紙上で大変な論議を起こした。新聞はわたしを「歓迎されざる訪問者」だと書きたてた。こうしてこの事件は、わたしがかの地に到着してから二、三日もたたないうちに、南アフリカ全体に思いがけない広告を、わたしのためにしてくれた。
20 プレトリアへ
「ちょっと来い、君は貨物車のほうに乗るんだ」
「だが、わたしは一等車の切符を持っているんだよ」
「そんなことは、どうでもいいんだ。君は貨物車に移るべきだ、と言うんだ」
「聞いてくれ、ダーバンでわたしは、この客車で旅行するのを許されているんだ。だから、わたしはどうしても、これに乗っていく」
「いや、君はだめだ。君はこの客車から出て行け。そうでないと、巡査を呼んで来て、君を追い出すぞ」
「どうぞ、君のお好きなように。わたしは自分で出ていくのはごめんだよ」
巡査がやって来た。彼はわたしの腕をつかまえて、追い出した。荷物もまた、ほうり出された。
わたしは、義務について考え始めた。わたしは権利のために闘うべきか。それともインドに帰るべきか。
ガンディー22歳。
社会に飛び出した彼の職業は、弁護士だった。
しかし、イギリス留学で弁護士資格を手に入れたため、
インドの法律に詳しくないガンディーは裁判に出ても失敗ばかり。
もともと口が上手くない性格もあり、すぐに弁護士としての自信を失ってしまった。
翌年、そんなガンディーに南アフリカでの仕事の誘いが届く。
当時イギリス帝国の一部であった南アフリカでは、人種差別が激しく、
南アフリカで事業をするインド人たちは
自分たちの状況を改善するために裁判を起こしていた。
依頼人に会いにいく旅で、肌の色を理由に列車の客室を追い出されるなど、
自身もひどい差別を受けたガンディーは、この仕事に熱意を燃やした。
そして、インド人とイギリス人の間に立つこの仕事を通じて、
弁護士という仕事の本質を見い出した。
私は、弁護士の本当の役目は引き裂かれた人たちを結び合わせることにある、
と悟ったのである。
ガンディーはその後の20数年を弁護士として過ごした。
そして生涯を通じて、引き裂かれた人を結び合わせ、人間と、真理と愛を弁護し続けた。